2015年8月9日日曜日

「平和」: 一つの大切、一つの反省

牧師 山口 雅弘

  かつて政界のドンと言われた田中角栄氏は、「五つの大切、十の反省」を提唱したことを思い出す。五つの大切とは、「人間、自然、時間、資源、国」で、十の反省とは、「仲良く、年寄りに親切、他人に迷惑をかけない、…」などが挙げられた。これだけを見ると、まことに結構な徳目であろう。

  しかしその後、今に至るまでに、「文部省を通して学校教育の中にもこのような徳目を生かしたい」と強調され、次第に衣の下の刃が見えてきた。かつての「修身・道徳」の復活として具体化され、日の丸・君が代の法制化などと一連のお膳立てがなされ、国公立の大学にまで日の丸・君が代の徹底化がなされようとしている。実に恐ろしい現実である。
 
  一方で、首相、閣僚らの靖国神社公式参拝が実行され続け、皇国史観(建国神話)に基づいた「紀元節」が「建国記念の日」(2月11日)と制定され、他方、元号法制化、防衛費増額、有事立法、日・米・韓の陸・海・空の合同大演習が続き、国家機密法案の可決、そして「戦争法案」と言われる安保関連法案が可決されそうになっている。さらに、憲法「改正」… と、実に危険な道を日本は歩んできている。気がつけば、「後の祭り」になってしまいかねない。
 
 このような事態に対する私たちの感覚も、良心も麻痺しているのだろうか。そうであればこそ、五つの大切、十の反省などではなく、徹底して「一つの大切、一つの反省」に立って歩む必要があると思わざるを得ない。

 「一つの大切」とは、人間、その生命と人生を何よりも大切にし合うこと。どのような人も、尊い生命を持つ人間として生活できる社会にすること。このことから当然、福祉や差別の問題・課題などが視野に入ってくる。

 「一つの反省」とは、心底から先の戦争を反省すること。戦争に至る道で、人間よりも国や体制が大切にされ、多数の人の利益や国のためということで、どれほどの人が犠牲になり、また加害者になったであろうか。戦争責任と戦後責任は、今も続いている。私たち自身がそのことを自覚すると同時に、若い人に、それを伝えたい。

 一つの大切、一つの反省に真剣でありたいと願ってやまない。次の歴史を担う幼い子どもたちのためにも。

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