2014年8月17日日曜日

戦争の代わりに音楽を(3)

牧師 山口 雅弘

  今もイスラエルによるガザ地区への砲撃がやまない。多くの子どもたちや女性たちが傷つけられ、その尊い生命が奪われている。その人々が最後に目にしたものは何だったのであろうか。
今こそ、「戦争の代わりに音楽を」、またそれぞれの祈りと働きを通して平和の実現を求めて生きる「時」である。

  バレンボイムとサイード、また音楽家も聴衆も考え方や立場の違う者でありながら、それぞれが自分のできることをして愛と平和の実現を求めて生きようとしたことに心打たれる。またその背後に、多くの人々の祈りと協力があったことを忘れてはならないであろう。

  イスラエルとパレスチナの人々の相互理解と和解を心から祈り、双方の若い音楽家たちと共に始めたこの試み、それが一つ一つの愛の現実を生み出していく出来事であったと思う。その出来事を聞いて私は、いつの日か、平和(シャローム)が人々の間に実現されるようにと祈らざるを得ない。そこで奏でられた音楽は、「祈り」そのものであったとも言えるであろう。

  世界の各地では今も戦争が絶えない。大国アメリカがまたも軍事介入を始めている。いつしか日本も、戦争に参加協力する道が開かれつつある。そしていつも、小さな子どもたちやお年寄り、また心身に障がいを持つ人たちから始めて、多くの人が犠牲にされていく。また、私たちの日常生活にも、子どもたちの笑顔を奪い、弱くされている人々の人権が損なわれる事件が絶えない。
嫌なことや辛いことが絶えることなく起きてはいるが、それにもかかわらず美しいこともある。心を鎮め、目を凝らし、耳を澄ませば、多くのすばらしいことや恵みが備えられていることを知らされる。神はいつもその恵みと祝福を備えて下さっている。その愛と恵みに応えて、私たちも平和実現のためにできることが必ずあると思う。

  私たち自身、自分の小さな取るに足りないような歩みの中で、神が備えていて下さる愛と恵みを受け取り、体で感じ取り、それを他の人と分かち合うように生かされていることを心に刻みたい。また、「神の愛と平和・シャロームが実現するように」と祈り続けたい。その祈りを持って、さまざまな所で努力をしている人たちがいることを心に覚えたいと思う。

  このことは、多くの人が宗教を越えて手をつなぎ合い、それぞれの仕方で祈り求めつつ担っていく課題であろう。

2014年8月3日日曜日

戦争の代わりに音楽を(2)

牧師 山口 雅弘

指揮者のバレンボイムはこのように言っている。「我々のプロジェクトは、多分、世界を変えることはできないだろう。しかし、それは前進するための一歩なのだ」。 彼と仲間たちは、未知なる世界に向かって小さな一歩を踏み出した。
実際、このオーケストラには今、前にも増してイスラエルとパレスチナ、さらには周辺のアラブ諸国から若い音楽家たちが招かれ参加していると聞く。スペインのセヴィリヤで一緒に訓練を受け、互いに理解を深め、すばらしい交響楽団に成長していった。

オーケストラの「東西ディヴァン」という名前は、バレンボイムとサイードが語り合い、文豪ゲーテの詩集の名前に因んでつけたそうだ。「ディヴァン」というのはペルシャ語で、ゆったりしたソファーのある客間のことを意味するそうだ。争い合う人々、また立場や考え方が違う人々が、「ディヴァン」でゆったりとくつろぎ、共に語り合い、互いに理解を深め、一緒に生きていこうという祈りが込められているのであろう。オーケストラを「東西ディヴァン」と名付けたのは、その祈りと願いを実現していきたいと思ってのことだろう。

「戦争の代わりに音楽を」というテーマのもとに開かれたコンサートは、人々の心をとらえ、大きな感銘を引き起こしたと聞く。盛大な拍手が鳴り止まなかったそうだ。指揮者のバレンボイムは、「この拍手は自分にではなく、これら若い音楽家たちに送られるべきものだ」と言い、自らも拍手を惜しまなかったと言う。       
コンサートで、鳴り止まなかった拍手は何だったのだろうか? 音楽家も聴衆も考え方や立場の違う者でありながら、「戦争の代わりに音楽を」という祈り、また愛と平和を実現していきたい願う祈りにおいて一つになっての拍手だったのではないだろうか。
現在、イスラエルによるガザ地区への砲撃がやまない。多くの子どもたちや女性たちの悲鳴と断末魔の声が聞こえてくる。今こそ、「戦争の代わりに音楽を」が必要な「時」である。(続く)