2015年3月1日日曜日

ひと一人の大切さ(2)

「思想・信教の自由の日」に寄せて

牧師 山口 雅弘

  日本の教会は、2月11日を「思想・信教の自由を守る日」と記念している。そのように定めたのは、教会が戦前・戦中の国家体制や天皇制を認めて戦争協力までしたことを悔い改めることに他ならない。そして再び、軍国主義的な国家体制や天皇制による秩序によって、誰一人として人間性が損なわれ、信じる自由を奪われ、言論や思想の自由を損なわれることのないように、不断の努力によって「思想・信教の自由を守る」という志を明らかにした。それは、どんなに力弱く小さな人も、誰からも何からも束縛されずに、自由な人間としての尊厳をもって生きることができるようになるための生き方を示している。

  社会の組織や秩序、また規則などは、社会生活や家庭生活を送る上で必要であろう。それらは、「一人ひとりの人間を生かすために」という大前提のもとにこそ大切である。しかし、秩序や組織・体制を守るために人間性が奪われ、弱さを持ち小さくされている人々が犠牲にされる、このことが世の常である。そして、秩序を要求するのは、いつも権力者である。

また強い者は、自分の都合に合わせて規則を作ろうとする。憲法「改正(悪)」、日の丸・君が代の強制などは、その典型であろう。

  イエスは、一人の人の弱さに寄り添い、規則や組織や、秩序や慣習などを破ってでも「ひと一人を大切にする」生き方を貫いた。それゆえ、当時のローマ社会、またユダヤ教社会において「異端者」と見られ、思想・政治犯に対する死刑方法であった十字架に付けられ殺された。他にも多くの人々が、ローマ・ユダヤ世界に対する反逆者として十字架刑で惨殺されていった。

  しかし、権力や暴力では決して滅ぼされない「復活の生命」を神に与えられたイエスは、今も人を生かす方として「生きている」というメッセージを私たちは与えられている。
  私たちは、それぞれの生きる場で、自分の弱さに寄り添っていて下さるイエスに生かされ、他者を愛する者として共に生きる生き方へと促されている。イエスはいつも、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」、「これこそが最大の掟である」と示しながら、私たちの生きる道を照らしてくださる。

  「思想・信教の自由を守る」ことは、イエスの示す生き方と切り離せない。それはまさに、私たちの信仰の課題であろう。