2014年12月28日日曜日

サンタが贈る神の愛の心

牧師 山口 雅弘

  先日のクリスマス愛餐会で、「サンタクロースは今もいる」と申し上げた。また、キャンドル・サービスの式次第に「クリスマス プレゼント」という短文を載せ、サンタのプレゼントについて少し触れた。今回は、実在したサンタをめぐって記してみたい。

  今から117年前の1897年のこと。アメリカの8才の少女ヴァージニアが「サンタクロースなんていないよ」という友だちの言葉に心痛め、「サンタクロースって、ほんとにいるの?」という質問を新聞社に送った。そこで新聞記者は、誠実に返事を紙面に公表した。その記事が『サンタクロースっているんですか』(偕成社)という本になっている。

  記者はその本の中で、「ヴァージニア、… サンタクロースなんていないと言う、あなたのお友だちはまちがっています。… ちゃんといます」と語り始め、目に見えるもの、手で触るものしか信じない世界は、何と心の貧しい寂しいものであるか。目に見えないものを信じ、夢や希望を持つ人には、たとえようもなく大きな、美しい世界が輝いているということを心優しく話しかけている。

  「この世の中に、愛や、人への思いやりや、まごころがあるのと同じように …」と語る記者のメッセージの中に、暗い闇のような現代に生きる私たちが失ってはならない大切なもの、新しく受けとめたい大切なものに心を向けさせられる思いがする。

  サンタは、確かに実在したと言われる。4世紀頃、小アジアのトルコに修道士のセント(聖)・ニコラウスという司教がいた。彼は、クリスマスになっても飢えた貧しい子どもたちがいることを知り、その子たちの家に「煙突」から金貨を投げ入れた。すると、暖炉の所にかけてあった「靴下」に金貨が入り、そのプレゼントによって、子どもたちは心も暖かになるクリスマスを過ごすことができたという伝説が残されている。これが「サンタクロース」の話の発端になったようだ。彼はまた、「子どもの守護聖人」とも呼ばれている。

   聖ニコラウスは、目に見えない神の愛、またイエスの誕生の喜びをプレゼントと共に一人一人と分かち合ったのであろう。その小さな働きが世界に広がり、次第に社会を変えていった。

  クリスマスの時に、「あなたも」、サンタが贈る神の愛の心をもって生きることができることを想い巡らしたい。

2014年12月21日日曜日

クリスマスプレゼント

牧師 山口 雅弘

  クリスマスはプレゼントが行き交う季節である。きれいな包み紙にリボンをかけたプレゼントをいただくと、「何が入っているのだろう」と心はずませ、すぐに中を見たくなるものだ。小さい頃は、サンタクロースが実在することを信じて疑わなかった。いつの頃からだろう、サンタはいないと思うようになったのは。

  幼い日々のことを想い出す。クリスマス・イブの夜は何と嬉しかったであろうか。日本中が貧しい時代だったが、ささやかなプレゼントをどれほど待ち焦がれたことだろう。25日の朝早くに起きて、何をさておいてもプレゼントを見つけて急いで中を見たものだ。

  毎年のクリスマスに、欲しいと思っていたものをサンタクロースは必ずプレゼントしてくれた。ただし、いつも3番目くらいに欲しいものであった。今から思えば、1~2番に欲しいものは高かったからだろう。こうして私は、長いことサンタクロースはいると思っていた。

  それがいつの頃からか、プレゼントを「もらう」クリスマスではなく、自分が何かを「ささげる」クリスマスを過ごすようになった。今は、自分自身がサンタクロースの心を持つ「サンタ」になって生きていきたいと願っている。

  現在、有り余る物に囲まれた子どもたちを見ると、心が貧しくなっていると思えてならない。それだけに、自分の何かを他者に「ささげる」クリスマスを子どもたちに知ってもらいたいと思うのは私だけではないだろう。

  では、大人は? 祈る時には神に、「ああして下さい。こうして下さい」と求めるばかりの私たちかもしれない。社会の闇の中に、争いと憎しみ、また戦いと死の絶えない現実の中に、神はイエスをプレゼントして下さり、愛と平和を示して下さっていることを覚えたい。そしてクリスマスにこそ、病む社会の中で「この身をささげます。どうぞこの私を用いて下さい」と祈りたいものである。
あなたにとって、クリスマスはどのような時であろうか?