2014年9月28日日曜日

北の大地からの福音(3)

牧師 山口 雅弘

  稚内教会は、北海道の多くの教会と同様に隣の教会が遠い。隣の名寄教会までは170キロ、日本海沿いに180キロ離れて留萌宮園伝道所がある。長く厳しい冬は、猛吹雪と氷との闘いがあり、交通も切断されることがしばしば。教会の牧師は、「気がつくとalone(独り)」と言っていた。孤独と孤立の内に閉ざされて「一人ぽっち」の教会になっているということだろう。

  しかし祈りを結集し、孤立に慣れてあきらめが先に立つ教会に光が差してきた。稚内近海の「利尻昆布」を、先ずは近隣、北海教区の諸教会に紹介し買ってもらおうということを始めた。それが「利尻昆布バザー」。「教会もよろコンブ、町もよろコンブ」、「とにかくやってみよう」と始めたそうだ。漁師さんの協力も得られ、「みなさーん!隣人になりましょう。すべての壁を打ち破り、隣人になろう」と言って「昆布バザー」を続けている。

  ただし、礼拝は10数名の小さな教会。年金生活者が多く、抗がん剤治療をしている方が5名、そしてみな高齢。にもかかわらず、不安の闇に包まれる中で、無理のない仕方でコンブを仕分けし、袋詰めし、自分たちのできる範囲でしようと作業をしていると言う。作業は、礼拝後に1時間30分ほどに留め、2時間以上になると次の日曜日には朝から気が重くなるので、そうならないようにできる範囲で息長くやろうとしているそうだ。

  私はそれを聞いていて、何をするのでも笑顔や笑いが消えて心地悪い疲ればかりが残るようなものであってはならないと思った。稚内教会の方々は少数者であっても、イエスにこのように言われているのではないだろうか。「あなたがたは世の光であり、地の“コンブ”である」と。
今この時も、その小さな教会で礼拝の讃美を挙げる声があり、闇に輝く光として生かされている人々がいることを心に留めたい。このことは本当に神の恵みに他ならない。

2014年9月14日日曜日

北の大地からの福音(2)

牧師 山口 雅弘

  北の大地からの福音として、二つ目のことを記しておきたい。それは、北海道の最北の地にある稚内教会のことである。

  北海道には現在63の教会・伝道所がある。西東京教区全体には92の教会・伝道所があるが、北海道に63の教会だから、いかに広い地域に教会が点在しているかが分かる。また、専任の牧師がいない教会が11教会。皆、兼任あるいは代務者を置いている教会だ。しかも63教会のほとんどが小さな教会で、高齢化、減少化、経済的に自立できない状況になっている。

  また都市部の教会は別にして、一年間に一人も新しい方が来ない教会も少なくない。今回も何人かの牧師仲間と話したのだが、小さいがゆえの色々な問題に疲れ、牧師がいないがゆえの苦労があることを聞いた。ある意味で、暗い闇の中にいるような、出口の見えない不安や苦労があることもたくさん聞いてきた。

  しかし多くの問題や苦労があればこそ、祈り合い・支え合うことがとても大切であることを実感させられた。さらに、一人一人の捧げる献金も大変多く、そのようにして教会を支え、北海教区においても互いに助け合い支え合う祈りの実りがあることを今回も知らされた。小さな町や地域に教会が存在し、特別なことはしなくても、日曜毎に礼拝を捧げ神の祝福によって生かされている方々がいる、そのことに大きな励ましを与えられた。(続く)  

2014年9月7日日曜日

北の大地からの福音

牧師 山口 雅弘

  北の大地からの福音として、二つのことを伝えたい。夏休みに、私も責任の一端を担う「フェミニスト神学フォーラム in 北海道」に参加した。関西から1人、東京とその近辺から11名の参加があり、北海道を含めると60名近くが集まった。その中にはアイヌ民族、聴覚障がい、ゲイ、レスビアン、両性などの性的少数者の人々がいて、それぞれ様々な差別や苦しみを負いながら参加してくださった。様々な違いをもつ人々と共に聖書の学び合いと色々な課題について話し合い、実に豊かな時を分かち合うことができた。

  キリスト教の歴史においては、差別からの解放と克服に理解を示しその課題に取り組むキリスト者でも、性意識の違いや性志向の異なる性的少数者に対する理解や認識を持てずに、かえって性差別を助長してきた実態がある。異性愛だけが「正常」で、性同一性障がい、同性愛、両性愛などの人々を「聖書」の名によって差別してきた。その人々は、現在も教会に共に連なることができず、居場所を持つこともできない現実が多くある。このことを改めて思わされた。

  ある女性(元男性)がこのように言っていたことが心に残った。「雅弘先生、あっ、ここでは雅弘さんと呼んでいいのよね。私、今とっても嬉しいの。楽しくて仕方がないの。私、“女性”として生きていく決心がついてから少しずつ解放されていく気がするの。”男らしく”でも”女らしく”でもなく、“私らしく”生きていけばいいのですよね…」と。彼女は小さい時から、学校でも社会のあらゆる場でも、また教会においても差別の苦しみを強いられてきた。これからもその苦しみはあるだろう。しかし彼女は、癌を患って余命がどれほどあるかわからないが、とっても生き生きと「今」を生きている。その人との出会いにより、私自身が励まされ、喜びを共にすることができた。北の大地で与えられた、何と大きな「福音(喜びのニュース)」であろうか。

  その意味で、このフォーラムが実に楽しく、時には真剣に、しかも笑いに満ちた会になったことを心から感謝せざるを得ない。

  そこで、稲城教会が今年から掲げる宣教基本方針は現代において実に重要であると改めて心に刻みたい。その一節を確認したい。

  「子どもと大人が、年齢、性別、民族・国籍、障がい・健常などの様々な枠を乗り越え、誰でもが集える楽しい教会を形づくる」。

  このことを絶えず実現していく教会でありたい。(続 く)