2016年12月24日土曜日

クリスマスの希望: 人を生かす生命

牧師 山口 雅弘

 「希望」が、どれほど絶望の淵にある人を生かす生命と力になるかを色々なことを通して知らされる。第2次世界大戦の時、東京の平和島という所に大森捕虜収容所があった。1943年(昭和18年)には、その収容所に、アメリカ・イギリス・カナダの捕虜が600人収容されていたと聞く。そこの責任者の軍曹は、絶対的な権力を示し、捕虜たちに身の毛もよだつような暴力を振るっていたそうだ。捕虜たちは、いつ殺されるか分からない恐怖と絶望の淵に立たされていた。日本兵も、そのことを証言している。

 その中の一人で菅原さんという兵隊が、捕虜と言えども人間だという思いで、捕虜の話をそっと聴くようになった。ある時、囚人たちが「クリスマスに礼拝をできないだろうか」と打ち明けたそうだ。菅原さんは、戦時中で、しかも敵国宗教の礼拝を、こともあろうに捕虜収容所の中でするとは不可能だと思った。当然であろう。それでも、知り合いの大森カトリック教会の下山神父に会い、囚人たちに生きる勇気と希望を与えられないだろうかと相談した。教会自体がその時、弾圧されていたので、とんでもない話であった。しかし神父は、一大決心をして、祈りをもって準備を始めたそうだ。

 問題は、軍曹である。軍曹がいては、とても不可能である。このことが知れたら、捕虜たちはもっとひどい拷問に会うだろう。そこで、菅原さんも下山神父も、そして捕虜となった人々も皆、知恵を絞り、工夫し、努力し、必死に祈り、12月24日の日に軍曹が外出するように画策することになる。そして、ついに祈りと努力が実り、24日に静かな礼拝をすることができたという。捕虜の一人一人は、涙を流しながら讃美歌を歌った。そして、祈った。また、「イエスが共にいて下さる」、私たちは生かされているという喜びと、「希望は決して失望に終わることはない」という思いを新たにさせられたと言うのだ。どんなに辛い状況にあっても、クリスマスの希望は、人を生かす生命になることを改めて思いめぐらすクリスマスを迎えている。

2016年11月27日日曜日

イエスの誕生物語を「もの語る」こと

牧師 山口 雅弘
2016年11月27日(日)第一アドベント

  今日から、アドベント・待降節が始まった。「待降節」という言葉は、ラテン語の「アドベント(到来する)」に由来し、イエスが私たちの所に「到来する」ことを「待ち望む」期間を示す。世々の教会は、イエス・キリストが私たち自身とこの世のただ中に来て下さったことを心にとめ、忙しい生活であっても、できる限り「心静かに」クリスマスを待ち望み、礼拝の「時」を過ごしてきた。
しかし、心静かに待降節を過ごすことは、なかなか難しいことである。私自身そうであるが、日常生活において「何を一番大切にするか」が希薄になり、仕事や日常の用事に追われて日々が過ぎていくからである。

  アドベントは、毎年訪れる。しかし「今年も」、この時を迎えられることは、決して当り前のことではない。尊い生命を与えられ、「今年も」と言えることを心から感謝したい。

  クリスマスの季節には、とりわけ聖書の中の「イエスの誕生物語」を語り・聞くことが多い。イエスの誕生の喜びと感謝を分かち合うクリスマスを「待つ」時であるから当然であろう。そこで、イエスの誕生の出来事を「もの語る」ことはどういうことであろうか、と自問してみた。

  「もの語る」の「もの」とは、物質を示す「物」ではなく、例えば「ものの哀れ」、あるいは「もの悲しい」「もの寂しい」などとあるように、内なる心、内なる思いを意味するようだ。また「語る」とは、「話す」あるいは「伝える」こと以上に、相手を思い、心配りをして語ることを意味するであろう。従って、イエスの誕生を「もの語る」ことは、自分の心や思いを尽くし、また語りかける相手に問いを投げかけ、その心に何かを受けとめてもらえるようにという願いをもって語りかけることになる。

  最初期の「キリスト者」は、自分の人生を変え、与えられているイエスの誕生の喜びを何としても伝え、「もの語る」ことに突き動かされたのであろう。そのようにして、イエス・キリストが「もの語られる」時、言葉は力と生命になって私たちの心に働きかけるのであろう。また、その言葉の生命と力が私たちを突き動かす時、イエス自身が私たちの生きる只中にいて下さるという経験を与えられることは確かである。

  私たちの人生の途上において、イエスとの出会いを与えられたことを心から感謝し、他の人にイエスの誕生を「もの語って」いきたい。そのためにも、アドベントの時を、心静かに礼拝する時にしたい。

2016年6月26日日曜日

みんな違って、みんないい!

牧師 山口 雅弘

  7月10日(日)の参議院選挙が近づいてきた。今回の選挙は、歴史的な選挙になるであろう。
第一に、有権者が18歳以上になったことである。若い人たちが社会や政治に関心を持ち、日本の未来をつくる一歩になることを願いたい。

  第二に、今回の選挙は、「憲法を生かすか殺すか」、その岐路になる選挙になると言えよう。現政権が、「憲法改正」に必要な3分の2以上の議席を獲得しようとしているが、そうなれば、今まで以上に「非核三原則」がなし崩しにされ、「海外への武器輸出」が促進されることになる。何よりも、海外派兵を可能にして戦争への道を拓いてしまう、まさに危機に立たされている。

  憲法13条は、個人の尊重と幸福追求権が、国民一人一人にあることを明言する。この条項の精神には、「みんなが違っていて、みんないい」という多様性の尊重と国民に主権があるという主張が明文化されている。

  また憲法9条は、戦争の放棄、平和を作り出す者としての生き方が示されている。憲法前文にも、「平和的生存権」を確立することが明示される。これらの条項の精神にも、「みんな違っていても」、望むことは「平和」であることが示されている。「憲法」にこのことが明示されていることは、世界のどの「憲法や法律」にも見られないほど誇れるものと言ってよい。

  問題は、社会や政治の問題に無自覚・無意識・無関心になり、憲法が「改悪」されることである。先の衆議院選挙では、私たちの未来を決める大切な選挙を棄権した人が有権者の47.35%もいたと言われる。「どうせ、投票に行ったとしても何も変わらない」と思う人が多いのかも知れない。
しかし、現政権に投票した人の何倍もの棄権した人が、与えられている権利としての選挙に行けば、日本の未来は変わり得る。

「みんな違って、みんないい」、平和を形づくる者として生きていきたい。

2016年5月29日日曜日

未来への眼差しー沖縄の願い

牧師 山口 雅弘

   どれほど苦しいこと、悲惨なことがあっても、未来への眼差し、希望を失ってはならない。その思いと意志を強く持ちたい。

  今年3月に、日本国家から切り捨てられているとしか思えない沖縄で、「再び」アメリカ兵から性的暴力を受けた女性の事件が起きた。また先日、元アメリカ海兵隊員で軍属として沖縄の基地で働く人によって、女性が殺され遺棄される事件が起きた。「もういい加減にしてほしい!基地があるために…」という思いを、沖縄の人の誰もが持っているであろう。

  2008年に、沖縄に行ったことを思い起こす。小雨が降り、風の冷たい辺野古の海を眺め、色々なことを考えさせられた。沖縄の様々な現場に立ち、その場の空気を吸い、人々と語り合う機会を得た。その前後にも、何度か沖縄を訪れたが、行く度ごとに沖縄の厳しい現実に心痛み、沖縄の現実を風化させてはならないという思いを与えられている。

  沖縄では、様々な夢や希望、また多くの可能性を持つ女性たちの人生が奪われ、殺されていく悲劇が繰り返されている。その現実の中で、アメリカ軍の最高司令官や要人、さらに日本の首相や政治家たちも、「悲劇が繰り返されないように・・・」云々と決まり文句を繰り返していることに、沖縄の人々は「チム・グリサ」、「肝が引き千切られるような痛み苦しみ」を日常的に抱えているであろう。

  原因ははっきりしている。沖縄に集中して米軍基地があるからだ。沖縄以外にも基地があり、性的暴力や殺戮が起きているのも確かである。これらの基地が、ベトナム戦争、アフガンやイラクなどの戦争への発進基地になってきた。また、基地を撤廃すると、とりわけ沖縄では深刻な就職難が起きるという苦渋に満ちた問題を抱えている。

  しかし、沖縄の一等地にある基地を平和利用や観光の場に用いるなど、知恵を集め努力して問題を解決しようとする、その「希望」を持つ人々も少なくない。未来への眼差し、希望を持つ人がいる限り、必ず願いや平和が少しずつ実現する、このことを私たちも信じて生きていきたい。

 沖縄は、琉球王国時代はもとより、「武器」を持たない「平和を造り出す人々」の生きる場であった。現在、その沖縄に戦争のすべての武器が集中して存在する。しかし私たちは、沖縄の現実を忘れずに、「平和を造り出す人は幸いである」とのイエスの語りかけを聴き、それぞれの場で「平和を造り出す人」として、未来への眼差し、希望を持ち、「今」を生きていきたい。

2016年5月8日日曜日

ペンテコステ・教会創立記念礼拝を前に

牧師 山口 雅弘


   次週はペンテコステ・教会創立記念礼拝を迎える。ペンテコステは「聖霊降臨日」とも呼ばれ、神の働きとしての「聖霊」により「教会」が地上に誕生したことを記念する日である。稲城教会もまた、1949年6月のペンテコステ近くに「伝道所」として日本キリスト教団の認可を受け設立された。しかし、それ以前に、満州から帰国した数名の方々を中心に、何年もの間、礼拝をささげられてきた歴史があることを忘れてはならない。少しでも多くの人が「教会」に集い、共に礼拝をささげることができるように、「一人が一人を誘う」働きをし、篤い祈りがあったことを心に留めたい。その祈りと働きがあってこそ、「教会」として産声をあげたのである。

  それ以来、数字では計ることのできない、教会に連なる多くの方々の人生が、教会の歩みと共にあったと思う。教会の歴史を目に見えない所で支える人々によって、教会のドラマは繰り広げられてきたのであろう。今、稲城教会は、変動する社会と歴史の中で、何を大切なものとして受け継ぎ、何を変え、何を生み出していくのであろうか。

  時は移り、人は変わる。しかし、決して変わることのない神の愛とイエス・キリストの福音に生かされている「私たち」であることを受けとめたい。

  稲城教会は、これまでもいくたびかの転機を経験してきたであろう。試行錯誤はこれからも続く。しかし、移ろい易い社会と歴史、また人の思わくがうごめく現実にもかかわらず、この社会の中で、人を打ちのめす暴力、また悪しき力と闘い、「いと小さき者」を生かす神の愛とイエス・キリストを宣べ伝えることができるように祈り求めたい。

  私たちは、教会に連なる方々の祈りと働き、また尊い「献金」をささげることによって素晴らしい「教会堂」を与えられている。稲城の地に建てられている教会が、神の愛とイエスの福音を宣べ伝える「宣教の器」として用いられるように願ってやまない。

  教会の歴史は、歴代の牧師や役員によってのみ形作られてきたのではない。その方々の祈りと働きがあって、教会の歩みは豊かにされてきたことは確かである。同時に私は、「公の歴史」に留められることの少ない人々、歴史の背後に隠され、見えにくくされていく人々への思いを熱くしている。その人々が教会を支え、献身のしるしとして「献金」をささげ、歴史を形成してきたのである。こうして、教会を支え、教会を形づくる方々が、神によって育てられる教会の歴史の主人公なのであろう。このことを忘れたくない。

2016年5月1日日曜日

憲法記念日を覚えて

牧師 山口 雅弘


    今年も全国各地で「憲法記念日」の集会が開かれるであろう。憲法が改悪され、9条さえ変えられようとする「危機」的状況にあり、「戦争関連法案」が次第に戦争への道を拓いていくことを思わざるを得ない。しかし、私たちはまた、日常生活において、その「危機感」を持たずに日々を過ごしてしまえる、このことも恐ろしいことである。

   現憲法を守ることは、戦争放棄と一人一人の生命と人権を守ることに深く関わる。過去の歴史に学び、記憶し続けなければ、再び日本のみならずアジア諸国の人々、また生きとし生けるものの命を奪うことになろう。

   幕末の一大変動期に大きな役割を果たした一人に勝海舟という人がいた。彼についての歴史的評価は色々あろうが、彼の語録集の『氷川清和』は興味深い。文庫本にまとめられているので、簡単に手にすることができる。それを読むと、勝海舟は、実に明確なものの見方を持っていたことに驚かされる。「徳川に代わるものは薩摩か長州か」という、言ってみれば仇討ち的な「私闘」になりかねないものを、彼はできる限り「公的」なものに高めようとしている。彼にとって「公」とは、どうすれば国民一人一人の益になるかということだったように思う。

   もし、そのような判断が無ければ、あの江戸城の無血明け渡しなどということはできなかったであろう。そのために海舟は恨まれ、「腰抜け」「イヌ」などと悪口を浴びせられたと聞く。しかし、国民の益と生命の尊厳をひたすら考え、「公人」として生きようとした彼は、その点で歴史を作った政治家の一人であったと言えるだろう。今の「政治屋」とは大違いの感がある。

   アメリカの「小イヌ」と皮肉られる歴代の首相、また政治家たちはどうだろうか。かつて「公人」として福田首相が公用車で靖国神社を参拝して以来、歴代の首相や大臣、政治家たちが靖国神社を参拝してきた。このことは、やがて天皇や自衛隊員の参拝の道を開くであろう。莫大な防衛費、元号法制化、「日の丸・君が代」を踏絵にした教育界への閉めつけなど、いつの日か戦前・戦中のような「国民の益」を忘れた、日本人のみならずアジア諸国の人々に犠牲を強いる「国家」の一人歩きをゆるしてしまうと思えてならない。

   さらに今、「共謀罪」という法律が刑法の一部を改正する形で復活する手順が整えられているという。「共謀罪」は、戦前の思想弾圧に使われた治安維持法の再来を思わせる恐ろしいものである。

   このようなことを見過ごせないのは、どこまでも一人一人の生命と人権を守り、愛し続けたイエスの歩みを踏みしめて行きたいからである。また、各地のキリスト者や様々なグループが、思想・政治的立場や宗教などの違いを超えて、「不断の努力によって」憲法を守る意思表明をしていきたい。

2016年4月24日日曜日

我、山に向かいて目を上げ

牧師 山口 雅弘


  熊本・大分における大地震によって、多くの尊い命が失われた。被災者は、今も不安の日々を過ごしていて、その苦しみは私たちの想像を絶する。また、報道によって「原発は大丈夫」と言われるが、原発の専門家でない私たちにもその危険性は大きいと察知できる。現に、「公共放送」では報道されない地震学者や原発の専門家の報告によると、かなり「危険」だと指摘されている。なぜ報道されないのだろうか? 地震大国の日本、しかも至る所に活断層が走る日本において、そもそも原発を設置する「安全」な場所はないと思えてならない。

  今も続く地震に加え、雨による土石流や山崩れに対して、人間の力はあまりにも小さすぎる。とりわけ、山々に囲まれる被災者は、どのような思いをもって「山に向かいて目を上げ」るのであろうか。

  大地震の過酷な経験の最中において、詩篇121篇を思い起こした。そこには、「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。…」と語られている。この詩人は、何を思い、どこから山を見上げているのであろうか。そこで気づかされることは、詩人はまさに人の行き交う所、社会の闇と不条理が満ち溢れ、哀しみと痛み、疲れと無気力、また孤独を抱える人々の中でこそ、この詩篇を読んだということである。

  「山」は、色々な象徴として語られてきた。「動かざること山の如し」ではないが、不動の重量感と静けさが山にあると言えよう。同時に、山は天候に翻弄され、自然の猛威を人に与える場でもある。従って、修行の場になり、人間の小ささと弱さを思い知らされる場である。また、朝夕の山の表情によって、心洗われる所でもあろう。かくして山は、霊山の神秘の中に「入る」場であり、道を求め、悟りを開き、開祖のもとに寺院が建てられてきたのも頷ける。

  しかし、山と一体になった寺院の中で営む生活は、出家してそこに「入る」ことはできても、そこから「出て」行く必然性があるのだろうか。托鉢に出て行くのも、再び山に「入る」ことを前提にしている。出家してそこに「入る」人が、そこで悟りと平安を得るのはよいが、悩み苦しみ、人間関係のしがらみ、政治経済のきしみや構造的な悪の中で生きる人はどうすればよいのか。

  イエスは、山々が続く荒野から村々に「出て」、人の生きる中で「神の愛と平和」の実現のために生きた人である。私たちは、山々に目を上げ神に助けを求めながら、生の人間が生きる中で「神の愛と平和」をもたらすイエスに「希望」を見出すことができるのであろう。

2016年4月17日日曜日

心は内に燃えたではないか

牧師 山口 雅弘


  キリスト教は、大きな挫折と権力による「敗北」から始まったと言ってよい。イエスは、「神の愛」と「神の国の福音」を宣べ伝えた。そして、すべての人は違いを持ちつつ、平等で対等な者として「尊い命と人生」を与えられ、生かされていることを示した。とりわけ弱く小さくされた人々は、「互いに愛し合う世界」において新しく生きる生命を与えられ、人生の道を拓かれていった。

   しかし、イエスは十字架につけられ、殺された。イエスと共に歩む人々は、挫折と敗北の哀しみを背負って生きざるを得なかった。とどのつまり、権力による暴力の勝利であるかのように見えた。十字架による処刑を前に、イエスに背を向けた弟子たちの「負い目」、イエスを失って落胆する弟子たちの姿、また希望を失って散りじりになっていく現実を、聖書は包み隠さずに語っている。

  その時、エマオに旅する二人の弟子は、道ずれの人によって「聖書全体にわたり、…説き明かされて」、それが復活のイエスであったことを「理解・認識した」とルカ福音書は語る(24章、他)。つまり、聖書の語りかけ(メッセージ)を通して、復活のイエスとの実存的な「出会い」を与えられたと聖書は語るのである。

   弟子たちは、「聖書の解き明かし」を聞くことを通して、イエスの出来事を思い巡らし、イエスの壮絶な死と自分自身を見つめ直していた。そこで、イエスの愛を深く想い起こし、「互いに心が内に燃える」経験を与えられたのであった。

   次週の礼拝後に、稲城教会の総会を予定している。「教会総会」と言えば肩苦しく感じ、気後れする人も少なくないだろう。教会がこの世の組織であるからには、宣教や諸活動の反省と展望、経済的「運営」のことを検討しなければならない。さらに、教会の歩みの不確かさや不足を思わざるを得ない。

   けれども教会総会では、教会に集うすべての人が、不確かさや弱さの中で「聖書のメッセージ」を聞き、祈りをもって新年度に向かって歩み出すことを大切にしたい。「礼拝」をささげることを中心に、奇をてらった実践だけを求めるのではない。イエス・キリストに支えられてこそ教会の歩みがあることを互いに「認め」、「互いの心が内に燃える」経験を分かち合う出発の時にしたいと心から願う。
神への感謝と祈りがある所に、どのような困難があろうとも、共にいるイエスに応える歩みと希望が与えられる。これは確かである。

2016年3月20日日曜日

未来への希望: 『夜明け』

牧師 山口 雅弘



イエスの受難を思いめぐらしていて、ナチス・ドイツによる受難者の一人を思い起こした。エリ・ヴィゼールである。彼は、ハンガリーで正統派ユダヤ人の家庭に生まれ、1944年に強制収容所に入れられた。両親の生命は奪われ、1945年、このユダヤ人少年はアウシュヴィツの地獄から奇跡的に生きて帰ることができた。少年は大人に成長し、作家になった。しかし、何年もの間、アウシュビッツの地獄を書くことはできなかったという。

  彼が収容所に入れられた時は16歳足らずであった。彼が、あの惨劇の炎の中を生き延びた事実だけでも驚きである。彼はその辛い経験を見つめなおし、必至に「未来」に向かって生きようとした。そして、苦闘の末に地獄の経験を記録として一冊の本に書き上げた。それが、『夜』という本である。辛くても現実を記憶し、未来に向けて生きるために、血を振り絞るような激白として描いたと言ってよいだろう。

  ナチス・ドイツが人間を家畜以下に扱い、ガス室に入れる中で、彼は叫び続ける。「神よ、人間をいつ人間にして下さるのですか」と。

  ヴィゼ―ルはその後、『夜明け』という小説を発表した。これはフィクション(虚構)であるが、あの極限状況を生きた彼は、自分の分身として主人公を描き、あるイギリスの将校を殺すという立場に身を置く。つまり、殺されていく者から、人を殺す側に自分を置くのである。イギリス人将校を殺す理由は何もない。しかし、処刑しなければならない。彼は苦しみ抜き、再び、「神よ、人間をいつ人間にして下さるのですか」と問うのである。

  翻訳者の解説は、彼が「神に」問うている根本的な所を見落としていると私は思う。この本は、文学として人間のギリギリのところを描いているが、作者がここで「神に」問いかけ、そのことをこそ問題にしていることが大切なのであろう。

 人間の現実を問いつめるのに、作者は、殺す・殺されることを問題にしている。そのことは、見方を変えれば、「人間は人間を本当に愛することができるのか」、愛し合う関係の中で「生きる」ことができるのか、という問いでもある。ここに、作者と神との必死の関係があり、神への問いがあるのではないだろうか。「神よ、人間をいつ人間にして下さるのですか」と。

 同時にまた、「神」に必死に問いかけることが「できる」、そこに「今」を生き、「夜明け」の希望があることも知らされる。

2016年3月13日日曜日

受難節に寄せて ー 「涙のつぼ」(2)

牧師 山口 雅弘

 イエスの十字架への道を思いながら、「涙のつぼ」というものが世界各地にあることを思い起こした。

 エジブトのカイロにも「涙のつぼ」があるそうだ。私は写真でそれらを見たことがある。小さくさまざまな形の「涙つぼ」の中で、「クレオパトラの涙つぼ」というものに心惹かれた。それはルリの石で作られ、背の高いものだった。興味深いことに、世界最古のブドウの原種で作ったグルジアワインは、「クレオパトラの涙」と呼ばれている。何不自由なく生き、権力を持ったクレオパトラも、独りそっと涙を流してワインを傾けたのだろうとしばし思いめぐらした。


 エジプトだけでなく、古代の中国にも、日本にも「涙つぼ」があったようだ。犬山城に行ったことはないが、天守閣の資料展示の中に「涙つぼ」があり、肉親の死を悼む「涙受けのつぼ」だという説明が付けられていると聞く。実際に使ったのものではないようだが、人の悲しい思いがこの「涙つぼ」に込められているのだろう。

 「涙つぼ」の多くは、特殊な人たちが持つ高価なものではなく、庶民の誰でも手に入れることのできる、つまようじ入れほどの小さな「つぼ」であったようだ。世界の至る所で、このような「涙つぼ」が出てくるのを見ると、人間の哀しみの深さ、広さを「涙つぼ」は示しているのだろう。


 今でこそ「涙つぼ」は作られていないが、依然として人は涙を流し続けている。悲しいことを経験し、苦しい問題に打ちのめされて涙を流す。また、自分の醜さ、なさけなさ、傲慢の罪深さに涙を流すこともある。あるいは、生きることに疲れ果て涙を流し、社会の片隅に追いやられ、差別され、踏みにじられて涙を流す。その涙さえ枯れるほどに、哀しみの底に追いやられることもあるだろう。
人ごとではなく、私たち一人一人も涙を流すことが少なくない。しかし、多くの人が涙の谷間で生きていることを自覚する時に、目の前にそっと涙を流している人がいることに気付かされることがあるのだろう。

 イエスは、人の目から涙をぬぐう方として人を愛す生き方を貫かれた。そして、人を慰め癒すだけでなく、たくましく生きていく力をも与えた。このイエスの愛を、私たちは携えて生きていくように促されている。

2016年3月6日日曜日

受難節に寄せて ー 「涙のつぼ」(1)

牧師 山口 雅弘

  イエスの十字架への道を思いめぐらしながら、ヘブル語聖書「詩編」84篇を読み礼拝メッセージの準備をしていた。その時、「たとえ嘆きの谷を通る時も、そこを泉とするでしょう」という文言に心惹かれた。ある英語の聖書では、「乾き切った谷」としている。元のヘブル語は、乾いた荒れ野の谷を連想させる風景を示している。

  同時にこの言葉は、文語訳で「涙の谷をすぐれども そこをおほくの泉ある所となす」と訳すように、「涙の谷」を意味している。歴史に生きた人々は、乾き切った不毛の谷を通り、何が自分を襲ってくるか分らない不安におびえ、多くの悩みや苦労にどれほど「涙」を流してきたであろうか。その思いが、「嘆きの谷」、「乾き切った谷」、また「涙の谷」という言葉に込められているのであろう。


  人生の旅において、懐にどれほど金銀を持っていても、荒れ果てた山や谷を旅する時、本当に自分を守り支えるものは一体何なのか? どのような人も必ず、嘆きと哀しみの「涙の谷」「嘆きの道」を歩まなければならないことがある。そのような「嘆きの道・涙の谷」を通る時、神への祈りの思いを持ち、神を信頼して精一杯に生きていくことができたら何と幸いであろうか。その時必ず、「生命の神」が私たちと共にいて下さることを知らされる。


  私たちは、それぞれの人生の旅を続けている。その中で、何の苦労も悩みもなく歩み続ける人はいないだろう。思いがけない重荷を背負い、不条理なことにぶつかり、失意のどん底に落とされることがある。病気や障がいに苦しめられることもある。また、年老いて自分の弱さを感じ、若い時には思いもよらなかった色々な不安や思い煩うこともあるだろう。また、人知れず涙を流し、この「嘆きの道・涙の谷」を通っていくことが必ずあると思う。しかし、その「涙の谷・嘆きの道」を歩む中で、平和と生命の根源である神を知らされ、不毛と思えるような中で生命の泉から涌き出る水を与えられることは、何と祝福であろうか。

  エジブトのカイロに「涙のつぼ」というものがあるそうだ。私は写真でそれらを見たことがある。小さくさまざまな形の「涙つぼ」の中で、「クレオパトラの涙つぼ」というものに心惹かれた。これはルリの石で作られ、背の高いものだった。何不自由なく生き、権力を持ったクレオパトラも、一人そっと涙を流したのだろうとしばし思い巡らした。          
(次週に続く)

2016年1月10日日曜日

すべてをご存知の神を信頼して

牧師 山口 雅弘

   2016年の新しい年を迎えて二週間が経った。「新しい」と言っても、時の流れの中で新しいものはすぐに古くなる。私たちは、喜びや哀しみ、また痛みなど、過ぎ去った古い経験を様々な形で引きずりながら生きている。

  私たちはここで、時間的な次元での新しさではなく、質的な新しさ、英語で言えばNEWではなくてFRESHという角度から「新しさ」を受けとめたい。特に、イエスを通していつも示される神の愛の真実を受けとめ、その真実に新しくされ生かされたいと願う。その意味でも、昨年末に記した「新年に向けて: 聖書を読もう!」を、再びお勧めしたい。私たちの「すべてをご存知の神」の語りかけに生かされるために…。

  私たちは言うまでもなく、歴史の中に生き、社会や世界の広がりの中に生きている。けれども、私たちの日常生活の範囲は狭く、歴史的な視点とか社会的な視野を持ちにくいのが実情であろう。特に、世界大的にテロが多発し、難民が急増している。また日本でも、破格の防衛費の予算化の中で、路上生活者に加え「若者難民」が増え、毎日食べることのできない子どもたちのための「子ども給食」が各地域に増えていると言う。

  同時に、アジアまた世界の中の一員である日本に生きる者として、様々な問題を感じつつも、日常生活の中で他者の痛み・哀しみに「切実感」を持たずに生きていけるのも現実ではないだろうか。そうして結局、その生活の中で「自分だけの幸せ」を願い、豊かさを求めているのかも知れない。

  しかし私たちは、どのような時にも「希望」を持ちたい。荒涼たる砂漠に大河の水をもたらす神を信頼し、私たちを神の愛と平和をもたらすために用いて下さることを信じたい。どんなに大きな河の流れでも、一滴一滴の小さな水が川の流れを生み、やがては荒れ野に大河となって流れるように、私たちの小さな働きを用いて下さる神がいらっしゃるのである。

  ティヤールド・シャルダンの言葉を思い起こす。「人生にはただ一つの義務がある。それは、愛することを学ぶこと。人生にはただ一つの幸福がある。それは、愛することを知ることだ」と。私は、その前提に一つの言葉を加えたい。「人生には一つの知るべきことがある。それは、あなたは神に愛されていることだ」と。すべてをご存知の神に愛されているのだ。

 新年を迎えた私たちは、弱さや矛盾を抱えていても、荒れ野に生命の水をもたらし「私は新しいことをなす」と言われる神を信じよう。神の愛と平和を求めて生きる者でありたいと祈りつつ、常に新しく生きていこう。