2015年8月2日日曜日

「平和聖日」を覚えて

牧師 山口 雅弘

  本日は、日本キリスト教団で「平和聖日」と記念される日である。全国の諸教会が、かつての戦争を是認し、協力さえしてしまった罪責を覚え、平和を造り出すための歩みを新たにするように定められた日である。この日の礼拝で、村川元さんが貴重な体験をお話し下さることになり心から感謝したい。また日常生活において、平和実現のために祈りつつ生きていきたい。

  私たち人間は、なぜ愚かにも戦争をするのだろうか? 神によって尊い生命を与えられている人間が、どうして互いに傷つけ、争い、殺し合うのだろう? これは、単に人間の本性だとか、性善説・性悪説だとか、「原罪」などと言うことで説明・解釈できるものではない。

  人間の歴史を見ても、琉球や沖縄の人々、アイヌ民族や少数民族と言われる人々は、戦争をしない民族としての歴史を持つ。戦争は、決して良いものを生み出さない。私たちは、今をどのように生きるかが問われている。

  人の生命が踏みにじられる中で、戦争を始める人間は、戦争を止めることができる。また、戦争を止めさせることもできる。私たちはどんなに小さく弱い者であっても、身の回りの人間関係の中で、また社会の中で、平和の実現を祈り求める者でありたい。私たち一人一人が、宗教の違いを越え、政治的立場や様々な違いを越え、自分にできることをしたいと思う。
  先日は、特別伝道礼拝に多くの方々が集い、豊かな礼拝の時を持つことができた。また、近隣の仏教者や平和の実現を求めて活動する方々が来て下さり、感謝したいと思う。特に今、「戦争法案」と呼ぶべき法案が衆議院で採択され、参議院でも政府与党の多数派により決議されそうな事態を迎えている。このような危険な状況を阻止できないことは、私たちに責任があり、また選挙においてその法案を推し進める議員を選んでしまった国民に大きな責任がある。それでも私たちは、決して希望を失わない。知恵を集め、再び戦争へと突き進む暴走と暴挙を何とか止める努力をしたい。それは、未来の平和を実現する生き方に繋がり、無関心でいては大きな濁流に流されるだけだと思うからだ。
  教会に集う子どもたちやティーンズを見ていて、子どもたちの未来を暗いものにしてはいけない、子どもたちの笑顔を消してはならないとつくづく思う。そうであればこそ、小さな行ないの積み重ねによって、平和を実現する歩みが私たちに求められている。具体的に動けなくても、後方にいて支援し、平和を祈り求めることは誰にでも必ずできることを心に刻みたい。

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