2014年12月28日日曜日

サンタが贈る神の愛の心

牧師 山口 雅弘

  先日のクリスマス愛餐会で、「サンタクロースは今もいる」と申し上げた。また、キャンドル・サービスの式次第に「クリスマス プレゼント」という短文を載せ、サンタのプレゼントについて少し触れた。今回は、実在したサンタをめぐって記してみたい。

  今から117年前の1897年のこと。アメリカの8才の少女ヴァージニアが「サンタクロースなんていないよ」という友だちの言葉に心痛め、「サンタクロースって、ほんとにいるの?」という質問を新聞社に送った。そこで新聞記者は、誠実に返事を紙面に公表した。その記事が『サンタクロースっているんですか』(偕成社)という本になっている。

  記者はその本の中で、「ヴァージニア、… サンタクロースなんていないと言う、あなたのお友だちはまちがっています。… ちゃんといます」と語り始め、目に見えるもの、手で触るものしか信じない世界は、何と心の貧しい寂しいものであるか。目に見えないものを信じ、夢や希望を持つ人には、たとえようもなく大きな、美しい世界が輝いているということを心優しく話しかけている。

  「この世の中に、愛や、人への思いやりや、まごころがあるのと同じように …」と語る記者のメッセージの中に、暗い闇のような現代に生きる私たちが失ってはならない大切なもの、新しく受けとめたい大切なものに心を向けさせられる思いがする。

  サンタは、確かに実在したと言われる。4世紀頃、小アジアのトルコに修道士のセント(聖)・ニコラウスという司教がいた。彼は、クリスマスになっても飢えた貧しい子どもたちがいることを知り、その子たちの家に「煙突」から金貨を投げ入れた。すると、暖炉の所にかけてあった「靴下」に金貨が入り、そのプレゼントによって、子どもたちは心も暖かになるクリスマスを過ごすことができたという伝説が残されている。これが「サンタクロース」の話の発端になったようだ。彼はまた、「子どもの守護聖人」とも呼ばれている。

   聖ニコラウスは、目に見えない神の愛、またイエスの誕生の喜びをプレゼントと共に一人一人と分かち合ったのであろう。その小さな働きが世界に広がり、次第に社会を変えていった。

  クリスマスの時に、「あなたも」、サンタが贈る神の愛の心をもって生きることができることを想い巡らしたい。

2014年12月21日日曜日

クリスマスプレゼント

牧師 山口 雅弘

  クリスマスはプレゼントが行き交う季節である。きれいな包み紙にリボンをかけたプレゼントをいただくと、「何が入っているのだろう」と心はずませ、すぐに中を見たくなるものだ。小さい頃は、サンタクロースが実在することを信じて疑わなかった。いつの頃からだろう、サンタはいないと思うようになったのは。

  幼い日々のことを想い出す。クリスマス・イブの夜は何と嬉しかったであろうか。日本中が貧しい時代だったが、ささやかなプレゼントをどれほど待ち焦がれたことだろう。25日の朝早くに起きて、何をさておいてもプレゼントを見つけて急いで中を見たものだ。

  毎年のクリスマスに、欲しいと思っていたものをサンタクロースは必ずプレゼントしてくれた。ただし、いつも3番目くらいに欲しいものであった。今から思えば、1~2番に欲しいものは高かったからだろう。こうして私は、長いことサンタクロースはいると思っていた。

  それがいつの頃からか、プレゼントを「もらう」クリスマスではなく、自分が何かを「ささげる」クリスマスを過ごすようになった。今は、自分自身がサンタクロースの心を持つ「サンタ」になって生きていきたいと願っている。

  現在、有り余る物に囲まれた子どもたちを見ると、心が貧しくなっていると思えてならない。それだけに、自分の何かを他者に「ささげる」クリスマスを子どもたちに知ってもらいたいと思うのは私だけではないだろう。

  では、大人は? 祈る時には神に、「ああして下さい。こうして下さい」と求めるばかりの私たちかもしれない。社会の闇の中に、争いと憎しみ、また戦いと死の絶えない現実の中に、神はイエスをプレゼントして下さり、愛と平和を示して下さっていることを覚えたい。そしてクリスマスにこそ、病む社会の中で「この身をささげます。どうぞこの私を用いて下さい」と祈りたいものである。
あなたにとって、クリスマスはどのような時であろうか?

2014年11月30日日曜日

心静かに、神の愛と平和を求めて

(山口雅弘著 『イエスの道につながって―随想とメッセージ集』の一部を改訂し再録)
牧師 山口 雅弘

  今日から待降節・アドベントが始まる。「待降節」という言葉は、ラテン語の「アドベント(到来する)」に由来し、クリスマスを「待ち望む」期間を示す。世々の教会は、イエス・キリストが私たち自身と私たちの世界のただ中に来て下さることを心にとめ、忙しい生活であってもクリスマスを待ち望み、この期間を大切に過ごしてきた。
  アドベントは、毎年訪れる。しかし「今年も」、この時を迎えられることは、決して当り前のことではない。生命を与えられ「今年も」と言えることを心から感謝したい。
  教会の暦では、一年はアドベントから始まる。そして一年は、二つの部分から成る。前半は、イエスの生涯を「想い起し」礼拝をささげる「時」。すなわち、アドベント・クリスマスに始まり、公現日(一月六日、イエスの公生涯が始まったとされる日)、受難節、復活日を経てペンテコステ(聖霊降臨)に至る期間である。後半は、次のアドベントに至るまで教会の宣教を進める時である。

  ルカ福音書は、イエスが「家畜小屋」の中で生まれたと象徴的に語る。イエス時代には、「馬」は一般的な家畜ではなく、ローマ軍の「戦車」を引く強力な兵器であった。クリスマスには「馬小屋」が付き物と思う人のイメージを壊すかも知れないが、イエス誕生の場所は牛や山羊などを飼う「家畜小屋」であったと考えられる。「兵器庫」ではなく、「家畜小屋」の中でイエスは生まれたと言う方が適切であろう。
  しかしその場所は、人が憩う場ではない。辛く哀しい現実の闇が支配する場に生きる人々の中に、イエスは来られたことを象徴して語るのである。また、闇を生み出す社会の現実に対する抵抗のしるしである。イエスの生涯がそのことを示す。
  イエスは、「かつて」そうであったように「今も」、闇が支配する社会の中に、希望を示す光をもたらした。私たちは、どのような時にも、神が我々と共にいて下さるから絶望しない。
病む社会のただ中に生きるからこそ、私たちは心静かに、神の愛、正義と平和、癒しと希望を祈り求めつつ、アドベントを過ごしたい。

2014年11月16日日曜日

メメント モリ

牧師 山口 雅弘

  『わが涙よ、わが歌となれ』という本が出版されている。牧師の連れ合いであった原崎百子さんの遺作である。彼女は、自分の病気が肺ガンと知らされ、その日からの45日間、43歳で神に召されるまでの深い思索と真摯な生き様を記録した本である。それはまた、地上で生かされた一人の信仰者の証言とも言えるだろう。
  彼女は、4人の幼児を残して死を迎えなければならない不条理の苦しみに突き落とされ、人目をはばかることなく涙を流さざるを得なかった。それでも彼女は、精一杯に神に向き合い、自分の一日一日の人生を大切に生きようとした。
  しかし、一切を神にゆだねて生きようという信仰と、それでもずっと生きていたいという意欲の間で揺れ動き、その現実の中で苦闘する彼女の生の姿を垣間見ることができる。同時に、自分に与えられた生命と人生の「責任」を持って、自分なりに生きようとする彼女の姿勢に、深い感動と励ましを与えられる本である。

  中世の修道士たちが朝一番に口に出す言葉は、「メメント・モリ」という言葉であったと聞く。「汝の死を覚えよ」という意味である。修道士たちは、互いに「限りある生命」を心に刻み、今日を精一杯に神に向き合い、イエスと共に、神と人に仕えて生きようとしたのであろう。

  私たちは誰でも、いつか必ず「自分の死」を迎える。これほど確かなことはない。自分に与えられた地上での「最後の出来事」であろう。自分の死を見つめることは、他者に代わってもらうことのできない自分の生命と人生をもって生きる責任や課題と不可分である。何か大きなことはできなくても、自分らしく生きていきたい。かけがえのない尊い生命と人生を与えられているからである。
  自分の死はまた、自分だけの死ではなく、愛し合う者にとっての辛い現実になる。そしてイエスが示したように、「あなたの魂は今夜の内にも取り去られる」(ルカ12章)とすれば、自分と他者の「いのちをみつめて」、少しでも豊かな喜びと平和を生み出す生き方をしたいものである。「メメント・モリ」という言葉は、そのことを自覚させられる豊かな語りかけであろう。

2014年11月9日日曜日

千の風になって

牧師 山口 雅弘

 先日、祈りと共に永眠者記念礼拝を捧げることができた。礼拝では取り上げなかったが、メッセージの準備の際に次の詩を思い起こしていた。原詩は12行の英語の詩で、作者不明。アメリカ先住民のナバホ族の誰かが作ったという説もある。この詩を訳した新井氏が歌い始め、テノール歌手が歌って有名になった「千の風になって」という詩である。

千の風になって
(新井満氏 翻訳)
 
私のお墓の前で 泣かないで下さい
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないで下さい
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になってあの大きな空を 吹きわたっています
 
千の風に 千の風になってあの大きな空を 吹きわたっています
あの大きな空を 吹きわたっています

 この詩の根本思想はアミニズムに近いだろう。森羅万象に魂が宿り、風や光などあらゆるものに精霊や命が宿っているという宗教観である。キリスト者の中には同意できない人もいるだろう。しかしこの詩には、命と死、また復活の生命を示すものが見られる。聖書が示す「風」は神の聖霊(精霊)を意味し、その「風」の生命によって生かされる人やすべての物を示していると受けとめることができる。

 またこの詩には、大胆な逆転の発想が見られる。と言うのも、「私は死んだけれども、風になり、星や光になって、あなたのそばにいる。私が死んだからといって、もう嘆き哀しまなくてもいい。風や鳥のさえずり等を通して私を感じ、さあ元気を出して生きてほしい…」と、死者が生者を慰め励ましているからだ。だから大切な人を亡くした人の心に訴えるのであろう。

2014年10月12日日曜日

イエスの食事の開放・解放性(2)

牧師 山口 雅弘

  イエスは、宗教的に「罪人」と見なされ「汚れている」と規定されていた人々とこそ食事・聖餐を共にした。世の人々から疎まれ、弱い立場に置かれている人々、心身の病気や不自由を負って苦しむ人、また哀しみ苦しむ人、辛い毎日を生きている人を、イエスはその食事・聖餐に招いた。

  同時に、あなたには「神の国の食事」「神への感謝としての聖餐」に加わる資格や条件がないと言われていた人々と、イエスが神の愛を分かち合う食事・聖餐をしたことは重要である。それは、さまざまな違いや垣根を越えた全く無条件の「喜びと感謝への招き」であった。
 
  聖書の食事・聖餐の場面を見ると、そこには男性だけではなく、当時一人の人間と見られなかった女性や子どもも共にいたことが分かる。イエスにとってその人々との食事は、まさに「神の国の祝宴」を現わすものであり、神の一方的な恵みを感謝する聖餐であった。
 
  またイエスにとって、食事は神への感謝と交わりの基本であり、神の国の雛形、また神の愛と恵みを受ける感謝の祝宴であった。どれほど厳しく辛い毎日を生きていても、粗末な食事であっても、そこで養われ培われるイエスと人々との絆は、聖餐を受ける人々にとって大きな力・励ましになったであろう。その聖餐は、人々の心に刻まれた忘れられない出来事になったに違いない。
同時に、宗教的権力者にとっては、規則を破り、資格や条件を無視する不届き者として許せない出来事であった。
 
  にもかかわらず、イエスが行ない続けた神の恵みへの感謝(ユーカリスト)としての聖餐は、包含的で、すべての人に開かれていた。それが、すべての人を招くイエスの聖餐の本来の姿である。そのことは、イエスの生き方そのものに裏打ちされた実践でもあった。
イエスの生き方そのものを具体化するイエスを中心とする聖餐の交わりは、誰をも排除しない、開放性と解放性を持つことを忘れてはならないであろう。それは、どのような教会として歩むか、その在り方に深く関わることである。

2014年10月5日日曜日

イエスの食卓の開放・解放性(1)

牧師 山口雅弘

  ユダヤ人にとって、食事は交わりの基であり、喜びの宴、神と人との祝宴であった。さまざまな苦しいこと、辛く哀しいことを経験し、重荷を背負う毎日だったが、食事の交わりは、互いの間に喜びと笑いを生み出す時になった。また、何よりも食事は、神への「感謝」を表わす時であった。

  食事の時には、祈りをし、讃美歌を歌い、聖書の話を聞き、少しの物を分け合って食べた。同時に、パンを食べワインを飲むというだけの食事ではなく、パンを分け合う時に神の愛を分け合う「感謝」を確かめ合い、神の国に生きようとすることを現わすのが食事であった。

  しかし、その「神の国の食事」を共にできない人々がいた。あなたは罪を犯した「罪人」だ、「汚れている」などと言われていた人々である。心や体の病気になっている人、体の不自由な人もそうだった。

  また、いろいろな規則によって資格がない、条件に合わないとされた人、一人の人間と見られず、何の権利も資格もないと見なされていた女性や子どもたちもそうだった。それがユダヤ教の規則であり、決まり、しきたり、常識であると強調され、宗教的にもそのように教えられた。

  そのことに大胆にメスを入れたのがイエスである。イエスは、ユダヤの食事の意味を受け継ぎつつ、規則や条件から排除され、資格がないとされた人々とこそ「神の国の食事」を共にされた。その食卓はまさに、年齢、国籍、性別、社会的立場などすべての垣根を乗り越え、神の一方的な招きと恵みを「感謝する(ユーカリスト―)」食卓、またすべての人が招かれている開放性と、あらゆる排除からの解放性を実現しようとする食卓であった。さらに、どのような人も神の食卓に招かれ、生命を与えられ生かされていることの「感謝(ユーカリスト)」を分かち合う時であった。

  イエスは、そのような食事をしつつ、神に生命を与えられ生かされているすべての人と共に生きようとしたのである。それゆえに「罪人や汚れた人の仲間になった」と非難された。にもかかわらず、そのように規定され排除される人々と「楽しく喜びに満ちた」食事を共にしようとしたのである。神のもとにある人間のヒューマニズムの極みを示すであろう
 それが、神の一方的な招きの恵みに「感謝」そのものを示す「聖餐(ユーカリスト)」になったのである。(続く)

2014年9月28日日曜日

北の大地からの福音(3)

牧師 山口 雅弘

  稚内教会は、北海道の多くの教会と同様に隣の教会が遠い。隣の名寄教会までは170キロ、日本海沿いに180キロ離れて留萌宮園伝道所がある。長く厳しい冬は、猛吹雪と氷との闘いがあり、交通も切断されることがしばしば。教会の牧師は、「気がつくとalone(独り)」と言っていた。孤独と孤立の内に閉ざされて「一人ぽっち」の教会になっているということだろう。

  しかし祈りを結集し、孤立に慣れてあきらめが先に立つ教会に光が差してきた。稚内近海の「利尻昆布」を、先ずは近隣、北海教区の諸教会に紹介し買ってもらおうということを始めた。それが「利尻昆布バザー」。「教会もよろコンブ、町もよろコンブ」、「とにかくやってみよう」と始めたそうだ。漁師さんの協力も得られ、「みなさーん!隣人になりましょう。すべての壁を打ち破り、隣人になろう」と言って「昆布バザー」を続けている。

  ただし、礼拝は10数名の小さな教会。年金生活者が多く、抗がん剤治療をしている方が5名、そしてみな高齢。にもかかわらず、不安の闇に包まれる中で、無理のない仕方でコンブを仕分けし、袋詰めし、自分たちのできる範囲でしようと作業をしていると言う。作業は、礼拝後に1時間30分ほどに留め、2時間以上になると次の日曜日には朝から気が重くなるので、そうならないようにできる範囲で息長くやろうとしているそうだ。

  私はそれを聞いていて、何をするのでも笑顔や笑いが消えて心地悪い疲ればかりが残るようなものであってはならないと思った。稚内教会の方々は少数者であっても、イエスにこのように言われているのではないだろうか。「あなたがたは世の光であり、地の“コンブ”である」と。
今この時も、その小さな教会で礼拝の讃美を挙げる声があり、闇に輝く光として生かされている人々がいることを心に留めたい。このことは本当に神の恵みに他ならない。

2014年9月14日日曜日

北の大地からの福音(2)

牧師 山口 雅弘

  北の大地からの福音として、二つ目のことを記しておきたい。それは、北海道の最北の地にある稚内教会のことである。

  北海道には現在63の教会・伝道所がある。西東京教区全体には92の教会・伝道所があるが、北海道に63の教会だから、いかに広い地域に教会が点在しているかが分かる。また、専任の牧師がいない教会が11教会。皆、兼任あるいは代務者を置いている教会だ。しかも63教会のほとんどが小さな教会で、高齢化、減少化、経済的に自立できない状況になっている。

  また都市部の教会は別にして、一年間に一人も新しい方が来ない教会も少なくない。今回も何人かの牧師仲間と話したのだが、小さいがゆえの色々な問題に疲れ、牧師がいないがゆえの苦労があることを聞いた。ある意味で、暗い闇の中にいるような、出口の見えない不安や苦労があることもたくさん聞いてきた。

  しかし多くの問題や苦労があればこそ、祈り合い・支え合うことがとても大切であることを実感させられた。さらに、一人一人の捧げる献金も大変多く、そのようにして教会を支え、北海教区においても互いに助け合い支え合う祈りの実りがあることを今回も知らされた。小さな町や地域に教会が存在し、特別なことはしなくても、日曜毎に礼拝を捧げ神の祝福によって生かされている方々がいる、そのことに大きな励ましを与えられた。(続く)  

2014年9月7日日曜日

北の大地からの福音

牧師 山口 雅弘

  北の大地からの福音として、二つのことを伝えたい。夏休みに、私も責任の一端を担う「フェミニスト神学フォーラム in 北海道」に参加した。関西から1人、東京とその近辺から11名の参加があり、北海道を含めると60名近くが集まった。その中にはアイヌ民族、聴覚障がい、ゲイ、レスビアン、両性などの性的少数者の人々がいて、それぞれ様々な差別や苦しみを負いながら参加してくださった。様々な違いをもつ人々と共に聖書の学び合いと色々な課題について話し合い、実に豊かな時を分かち合うことができた。

  キリスト教の歴史においては、差別からの解放と克服に理解を示しその課題に取り組むキリスト者でも、性意識の違いや性志向の異なる性的少数者に対する理解や認識を持てずに、かえって性差別を助長してきた実態がある。異性愛だけが「正常」で、性同一性障がい、同性愛、両性愛などの人々を「聖書」の名によって差別してきた。その人々は、現在も教会に共に連なることができず、居場所を持つこともできない現実が多くある。このことを改めて思わされた。

  ある女性(元男性)がこのように言っていたことが心に残った。「雅弘先生、あっ、ここでは雅弘さんと呼んでいいのよね。私、今とっても嬉しいの。楽しくて仕方がないの。私、“女性”として生きていく決心がついてから少しずつ解放されていく気がするの。”男らしく”でも”女らしく”でもなく、“私らしく”生きていけばいいのですよね…」と。彼女は小さい時から、学校でも社会のあらゆる場でも、また教会においても差別の苦しみを強いられてきた。これからもその苦しみはあるだろう。しかし彼女は、癌を患って余命がどれほどあるかわからないが、とっても生き生きと「今」を生きている。その人との出会いにより、私自身が励まされ、喜びを共にすることができた。北の大地で与えられた、何と大きな「福音(喜びのニュース)」であろうか。

  その意味で、このフォーラムが実に楽しく、時には真剣に、しかも笑いに満ちた会になったことを心から感謝せざるを得ない。

  そこで、稲城教会が今年から掲げる宣教基本方針は現代において実に重要であると改めて心に刻みたい。その一節を確認したい。

  「子どもと大人が、年齢、性別、民族・国籍、障がい・健常などの様々な枠を乗り越え、誰でもが集える楽しい教会を形づくる」。

  このことを絶えず実現していく教会でありたい。(続 く)

2014年8月17日日曜日

戦争の代わりに音楽を(3)

牧師 山口 雅弘

  今もイスラエルによるガザ地区への砲撃がやまない。多くの子どもたちや女性たちが傷つけられ、その尊い生命が奪われている。その人々が最後に目にしたものは何だったのであろうか。
今こそ、「戦争の代わりに音楽を」、またそれぞれの祈りと働きを通して平和の実現を求めて生きる「時」である。

  バレンボイムとサイード、また音楽家も聴衆も考え方や立場の違う者でありながら、それぞれが自分のできることをして愛と平和の実現を求めて生きようとしたことに心打たれる。またその背後に、多くの人々の祈りと協力があったことを忘れてはならないであろう。

  イスラエルとパレスチナの人々の相互理解と和解を心から祈り、双方の若い音楽家たちと共に始めたこの試み、それが一つ一つの愛の現実を生み出していく出来事であったと思う。その出来事を聞いて私は、いつの日か、平和(シャローム)が人々の間に実現されるようにと祈らざるを得ない。そこで奏でられた音楽は、「祈り」そのものであったとも言えるであろう。

  世界の各地では今も戦争が絶えない。大国アメリカがまたも軍事介入を始めている。いつしか日本も、戦争に参加協力する道が開かれつつある。そしていつも、小さな子どもたちやお年寄り、また心身に障がいを持つ人たちから始めて、多くの人が犠牲にされていく。また、私たちの日常生活にも、子どもたちの笑顔を奪い、弱くされている人々の人権が損なわれる事件が絶えない。
嫌なことや辛いことが絶えることなく起きてはいるが、それにもかかわらず美しいこともある。心を鎮め、目を凝らし、耳を澄ませば、多くのすばらしいことや恵みが備えられていることを知らされる。神はいつもその恵みと祝福を備えて下さっている。その愛と恵みに応えて、私たちも平和実現のためにできることが必ずあると思う。

  私たち自身、自分の小さな取るに足りないような歩みの中で、神が備えていて下さる愛と恵みを受け取り、体で感じ取り、それを他の人と分かち合うように生かされていることを心に刻みたい。また、「神の愛と平和・シャロームが実現するように」と祈り続けたい。その祈りを持って、さまざまな所で努力をしている人たちがいることを心に覚えたいと思う。

  このことは、多くの人が宗教を越えて手をつなぎ合い、それぞれの仕方で祈り求めつつ担っていく課題であろう。

2014年8月3日日曜日

戦争の代わりに音楽を(2)

牧師 山口 雅弘

指揮者のバレンボイムはこのように言っている。「我々のプロジェクトは、多分、世界を変えることはできないだろう。しかし、それは前進するための一歩なのだ」。 彼と仲間たちは、未知なる世界に向かって小さな一歩を踏み出した。
実際、このオーケストラには今、前にも増してイスラエルとパレスチナ、さらには周辺のアラブ諸国から若い音楽家たちが招かれ参加していると聞く。スペインのセヴィリヤで一緒に訓練を受け、互いに理解を深め、すばらしい交響楽団に成長していった。

オーケストラの「東西ディヴァン」という名前は、バレンボイムとサイードが語り合い、文豪ゲーテの詩集の名前に因んでつけたそうだ。「ディヴァン」というのはペルシャ語で、ゆったりしたソファーのある客間のことを意味するそうだ。争い合う人々、また立場や考え方が違う人々が、「ディヴァン」でゆったりとくつろぎ、共に語り合い、互いに理解を深め、一緒に生きていこうという祈りが込められているのであろう。オーケストラを「東西ディヴァン」と名付けたのは、その祈りと願いを実現していきたいと思ってのことだろう。

「戦争の代わりに音楽を」というテーマのもとに開かれたコンサートは、人々の心をとらえ、大きな感銘を引き起こしたと聞く。盛大な拍手が鳴り止まなかったそうだ。指揮者のバレンボイムは、「この拍手は自分にではなく、これら若い音楽家たちに送られるべきものだ」と言い、自らも拍手を惜しまなかったと言う。       
コンサートで、鳴り止まなかった拍手は何だったのだろうか? 音楽家も聴衆も考え方や立場の違う者でありながら、「戦争の代わりに音楽を」という祈り、また愛と平和を実現していきたい願う祈りにおいて一つになっての拍手だったのではないだろうか。
現在、イスラエルによるガザ地区への砲撃がやまない。多くの子どもたちや女性たちの悲鳴と断末魔の声が聞こえてくる。今こそ、「戦争の代わりに音楽を」が必要な「時」である。(続く)

2014年7月27日日曜日

戦争の代わりに音楽を(1)

牧師  山口 雅弘

今から7年前の夏、ドイツのベルリンで、ダニエル・バレンボイムの指揮のもとに「東西ディヴァン・オーケストラ」の演奏会があった。音楽会のテーマは、「戦争の代わりに音楽を」であった。私はその折に、ベトナム戦争の時に、「愛し合おうではないか、戦争ではなくて」と言われていたことを思い出した。

バレンボイムは、イスラエルのパレスチナ侵略とそこに住む人々の殺戮に批判の声を挙げてきた人である。また、「反ユダヤ主義」というレッテルも貼られることがあった。彼は、それでも仲間と共に「自分のできること」をし、「命の尊さ」を音楽をも通して訴え続けてきた人である。

彼が指揮したオーケストラは、ユダヤ人のピアニストで指揮者であるダニエル・バレンボイムと、パレスチナ人の思想家で大江健三郎とも親交のあったエドワード・サイード(故人)が協力して創設した管弦楽団である。半世紀以上にも及ぶパレスチナ紛争、あの泥沼のような争いの中で、何とか音楽を通じて相互理解と和解を実現できないだろうか? そのことをこの二人が考えたというのだ。
そこで色々な人の協力を得、多くの苦労の連続の中で、その夢の実現に向けて努力し、このオーケストラを作り、演奏活動を始めたそうだ。

先ずバレンボイムとサイード、またその仲間たちは、パレスチナと、その他アラブ諸国の中から若い音楽家を招く。そしてイスラエルの音楽家たちも招く。本当ならば敵対している国の人たちである。事実、演奏会に至るまでに多くの問題があったようだ。

しかし、その音楽家たちやスタッフの人たちは「招き」に応え、互いの違いを受け入れ合いながら「一つのハーモニー」を奏でる音楽を生み出していこうとした。そのことは、非常に勇気ある試みであろう。多くの人たちは、それは無謀な企画だと批判の声をあげたと聞く。
私はこの話を聞き、今日の世界、また私たちの日常生活の中で、「愛」とはそのようにして実現していくのではないかと思わされた。(続く)

2014年7月20日日曜日

小指の思い

牧師 山口 雅弘

好きなピアノ曲を聞くと、その音に引きずり込まれることがある。流れるような音のつながりと強弱、そのリズムに酔いしれながら、自分も弾けるかも知れないと錯覚してしまう。そこでピアノの前に座り、知っている曲を弾き始めると、たちまちその幻想は打ち砕かれる。

ピアノのキーにふれて、どうにも自由にならないのが小指。特に左手の小指は、私に逆らっているかのように動いてくれない。技量がないのだから仕方がないと思うが、ピアノという楽器はどうも、私のすべての指に「平等な」動きを強いているような「ひがみ」をもってしまう。

この世のあらゆることにも、「小指」に強いるような要求がありはしないだろうか。親指にも小指にも、同じことが求められ、親指のような働きができない人は隅に追いやられていく。それは哀しいことだ。小指が小指として一生懸命に生きていても、小指の個性は奪われていく。そして、社会の隅に追いやられ差別されることも少なくない。「差別」は、放射能汚染のように目に見えないまま、人の心と体をむしばんでいくのだろう。それは、差別する側の無関心・無感覚と、差別される側の諦めによって、いつしか差別の現実が「当り前のこと」になり、私たちの常識を形づくるのかも知れない。その一つの指標に「差別用語」がある。

言葉は人の心を表す指標と言える。言葉は、それを使う人の人間性、人間観、人生観をも表す。このようにして、寿や山谷に生きる人が「浮浪者」「怠け者」「飲んだくれ」などと呼ばれる・・・。最近、「寿の浮浪者が路上で死んだ」というニュースを聞き、哀しい思いになった。

本当は、弱く小さき人々を「小指」に譬えるのは失礼なほど、皆たくましく生きようとしている。にもかかわらず、個性と弱さを抱えた一人の人間である前に、社会的に小指にさせられていることも事実である。親指も小指も夫々の個性と違いを持つ人として支え合い、私たち自身「共に生きる者」という言葉にふさわしい生き方ができたら、きっと私たちの間に喜びの輪が広がるであろう。それにしても、小指が一・二度軽くふれるだけの素敵な曲はないだろうか。 

2014年7月13日日曜日

『聖書』との格闘

牧師 山口 雅弘

毎週の礼拝で、聖書のメッセージを語ることは、私にとって「聖書」と格闘をしているようなものである。聖書を語り継ぎ、それを書き記した信仰の先達者たちの「宣教の言葉」の中に、神が示す生命のメッセージを聴こうとする格闘と言えるかもしれない。その格闘なしに、聖書のメッセージを語ることはできないとさえ思わされている。たとえ私の語る言葉が欠けだらけであっても、また聴く人がウツラウツラして聖書のメッセージへの熱い思いや緊張感を失うことがあると知りつつも、聖書と取り組むことなしに礼拝で語ることはできない。

聖書を読んでいると、まさに聖書が生きて語りかけているという思いを強くされることが少なくない。同時に、一所懸命に何かを求め願っていても、突き放された気持ちで聖書を閉じることもある。「聖書」は、「私」の思い通りにならないと思うこともしばしばである。その中で、たった一言の言葉でもいい、深く自分の心に染み入る個所に出会い、それが聴く人に伝わるとすれば、何にも代えがたい喜びになるであろう。

同時に、心に響き魂を揺り動かす聖書の言葉に出会っても、それがいつも私たちにとって心地よいものになるとは限らない。慰めと励まし、また癒しと希望を与えられると共に、それぞれの期待や願いがくつがえされ、深い反省を促され、問いかけを与えられることもある。

特定の歴史の中で人々が語り継ぎ、書き記しまとめた聖書であるが、その聖書を通して語りかける主体は神であり、イエスであることを心に刻みたい。その聖書を読み、学び、常に新しくそこに示される生命のメッセージを求める心を持てるように祈らざるを得ない。そうすれば、私たちは必ず、それぞれ自分にとって時機にかなった救いの言葉を与えられるであろう。

【就任式と感謝会のスライド集】 松村寛さんが牧師就任式と感謝会のスライド63枚をまとめて下さいました。実に見事な写真集です。コンピューターで見ることができますが、何らかの方法で皆さんと共に見ることができたらと願っています。松村さんのお働きを感謝します。

2014年6月22日日曜日

途上を生きる教会

牧師 山口 雅弘

先週の「牧師就任式」の後に、ある方が帰り際に「先生、これからですよね」と言ってくださった。実に嬉しかった。まさに「これから」という思いを強くした。
稲城教会は、公けに設立されたのが1949年である。神の壮大な歴史から見れば、若い教会と言えよう。それだけに過去の歴史や伝統に縛られず、試行錯誤の中で創意工夫をし、どんな困難をも乗り越えて、神の愛と神の国の福音を宣べ伝えようという気概にあふれた年代である。
確かに時は移り行き、人も変わっていく。けれども「今」、小さな子どもたちから年配の方々も一緒になり、若い教会として青春の時代の中に生かされていることは恵みであろう。ここで、サムエル・ウルマンの「青春」という詩を想い起したので、その一部を紹介したい。
青春とは・・・ 心の持ち方を言う ・・・
たくましい意志 豊かな想像力 燃える情熱を指す
青春とは 人生の深い泉の清新さを言う
青春とは恐れを退ける勇気  安易を振り捨てる冒険心を意味する・・・
年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時 初めて人は老いる・・・
・・・
君にも吾にも 見えざる神の愛を受ける場が心にある
人から 神から 美・希望・喜び・勇気・力の霊の風を受ける限り 
君は若い
・・・
頭を高く上げ 希望の波をとらえる限り
80歳であろうと 人は青春に留まる
この詩には「大いなる楽天主義」の気概、神への信頼と希望をもって生きようとする「魂の息吹き」が見られ、それが心に響くのだろう。
最初期の教会は、自己完結を求めず、小さく、組織も定まらず、財力がなくても、常に教会の外に目を向け、イエスによって示された神の愛をもって「他者のために生きよう」とする群れであった。稲城教会も、イエスによってもたらされた生命と愛を「新しい皮袋」に入れるように、常に青春の息吹きを与えられて生かされることを願ってやまない。

2014年6月15日日曜日

教会の歴史の主人公

牧師 山口 雅弘

稲城教会に遣わされて、あっという間に2ヵ月半が過ぎた。礼拝後に就任式を予定しているが、あらためて稲城教会の歩みを思いめぐらした。教会の一断面として、考えさせられたことを記しておきたい。

 通常、教会の歴史や記念誌がまとめられる際に、歴代の牧師や役員が表舞台に現れる。その方々の祈りと働きがあって、教会の歩みは豊かにされてきたのは確かであろう。

同時に私は、「公けの歴史」に留められることの少ない人々、歴史の背後に隠され見えにくくされていく人々への思いを熱くする。牧師や役員と共に、その方々が教会を支え、歴史を形成してきたのである。

忙しい日々の中で礼拝をささげ続け、病気や心身ともに不自由を抱え、重荷を負いつつも、神の愛に応えて礼拝を大切にしてきた方々がいての稲城教会である。また、さまざまな事情で礼拝に集えなくても、教会のために祈り、捧げ物をしてきた方々がいることを忘れてはならない。

また、礼拝のために司会・奏楽・受付などを通して教会の働きに参加し、また花を飾り、掃除をし、表になり裏になって教会の働きのために祈り、悩み苦しむ人に語りかけ、その一人一人に寄り添う方々。花壇の手入れをし、台所に立ち、ゴミをそっと片付ける方々。また、幼い子どもたちのために祈り、礼拝において子どもとのひと時を受け持つ方々…など。
こうして、教会のために祈り、支え、捧げ、教会を形づくる方々こそが、神が導き育てる教会の歴史の主人公なのである。

 教会はまた、過ちや挫折をも経験してきただろう。人間関係がギクシャクしたこともあったと思う。にもかかわらず、弱く「いと小さき人」の場に生きようとした方々の祈りと志を私たちは持ち続けたいものである。

社会の至る所で、人間が束にして扱われ、多くの人が人知れず苦しみの叫びをあげ、涙を流しているとすれば、教会に与えられている使命は大きい。それは、稲城の地に生かされる教会の課題であると同時に、アジア・世界の中の日本が抱える問題でもある。

 稲城教会が、右傾化した危険な時代と社会の中で、イエスの福音に生かされるがゆえに苦闘を強いられても、神の生命が小さな教会に躍動するエクレシアとして歩めるように祈りたい。

牧師も人も、教会も建物もいつしか歴史の中で変わっていくが、いつもすてきな教会でありますように祈りたい。

2014年6月8日日曜日

へたも絵のうち

牧師 山口 雅弘

画家の熊谷守一氏の『へたも絵のうち』という本を思い起した。この人は山の中で育ち、そこで養われた天衣無縫な生き方が絵によく現れているようだ。絵画のことを知らない私にも、この人が絵で描き文章で表わす彼の「心」が伝わってくる。本に記されているいくつかの文章を紹介したい。
「私は上手下手ということでは絵を見ない。」 「どうしたらよい絵が描けるかと聞かれる時、私は、自分を生かす自然な絵を描けばよいと答えてきた。下品な人は下品な絵を描き・・・下手な人は下手な絵を描きなさい、と言ってきた。」 「絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと見ている。自分にないものを無理に何とかしようとしても、ロクなことにはならない。だから下手な絵も認めよ、と言ってきた。」

これらの文章に込められた熊谷氏の「心」を思い巡らすと、絵を描くこの人自身の生き方がよく現れているように思う。そして何よりも、自分の生き方、また他の人の生き方を認め、大切なものとしていることが分る。

キリスト教の信仰は芸術と違うかも知れないが、「お前の信仰は間違っている」、「本当の福音とは・・・」「正しい聖餐とは・・・」と声高にいう人の語ることを聞くと、熊谷氏ではないけれど、「下手も認めよ、これも誠実な信仰の表われ・・・」と思う。信仰においても、生活のあらゆることにおいても、得意・不得意、上手・下手をみな持っている。みな違っていて、みな神の前にかけがえのない大切な人である。そして、それぞれが認め合い支え合い、「キリストの体」なる教会を形づくっている。

信仰を持って生きるとは、上手・下手ではなく、「自分のものか」ということだろう。最初期のキリスト者はみな多様で過不足をもっていても、希望を失わず「信仰をもって生きた」ことを静かに想う。そう、今日はペンテコステ。産声を上げて誕生した小さな教会が歩み出したことを記念し、喜び祝う日である。

2014年5月25日日曜日

キーワードは “いのち”

牧師 山口 雅弘

聖書が示す重要なメッセージとして、「いのち」というキーワードを心に留めたい。あらゆる戦争や暴力、自然環境やエコロジー、教育や人権・差別の問題、また政治や経済の問題など、すべての問題を克服する課題は、突き詰めれば「いのち」の問題に集約される。互いの「いのち」を慈しみ、大切にし、「いのちの尊厳」を守るという課題である。それも人間の「いのち」だけではなく、自然や動植物の「いのち」に関わる課題である。

その「いのち」を勝手に支配し、欲得のために用いてきたのは、私たち人間であるとしか言いようがない。であるならば、どうしても「いのち」の根源である神に向き合うことが求められる。「いのち」を与え、「いのち」を慈しむ神を信じる。このことが、おごれる人間を打ち砕くものとなるであろう。
今、日本も世界も、ますます混乱と争いが絶えない不安の時代を迎えている。創世記の天地創造の物語で、「地は混沌とし、闇が覆っていた」と語られるのと同じであると言わざるを得ない。その中でいつも犠牲にされるのは子どもたち、小さく弱い人々である。このような時にこそ現実を見据えながら、聖書のメッセージを真剣に聞いて、この時代に生きる者でありたいと願ってやまない。それは、「いのち」の根源である神に思いを向けることと切り離せないであろう。

聖書の冒頭において(創世記)、神はすべての動植物、とりわけ人に「いのち」を与え、生かして下さるというメッセージが主張されている。人は神に愛され、「生かされて在る」者とされている。そのことに根ざしてこそ、人が人として、それ以上にもそれ以下にもなってはならないという真実が輝く。どの人も、あるがままに尊い者として、神に大切な存在とされているのである。

このことを心に刻み、どの人もただ依存し合うのでなく、尊い「いのち」を与えられている者として自立し、互いに生かし共に生きる「人生」を与えられているのである。この聖書のメッセージを心に刻みたい。

2014年5月18日日曜日

施しと愛

牧師 山口 雅弘

イエスと弟子たちは、旅の途上において何でその生活を支えていたのだろうか? ガリラヤの村々を旅する前は、イエスは小さい時から農業と共に「木工職人」として働いて食を得、弟子たちも農民や漁師として生活していたと思われる。しかし「枕する所」なく、神の国の福音を宣べ伝え始めてからは、おそらくイエスと同伴者たちは、人々のもてなしや施しをいただいて生活していたのだろう。旅人をもてなし「施し」をすることは、ユダヤ人の大切な行為であったからである。福音書の至る所に、イエスとその一行がさまざまな人の家で食事を共にしていることが語られていることからも容易に想像される。少なくても、「仕事」の成果に見合ったお金や物品をもらって生活したのではなかっただろう。

イエスが殊のほか人を見る眼差しが強く、外面によらずに人の心の奥底を見抜いているのは、さまざまな苦しみ・重荷を背負う人と出会っているからであり、他方、「施し」で生活していたからということも見逃せない。人の心の奥底にある汚さ・愚かさ・傲慢、また優しさや愛は、ものを差し出す時に表われることが多いからである。

イエスは、人の心の底を見れば見るほど、「人間」というものの哀しさ・憐れさを知り、その人間をこそ愛したのである。だから、人の純なる心に接して、イエスは涙を流されたのだろう。

私たちは、イエスの眼差しが、私たちの汚さ・愚かさ、また傲慢に注がれていることに気づかないし、イエスの愛が実に私たち一人一人を全身で受けとめ、あるがままに「受容」しているからこその愛だと知らずにいるのではないだろうか。その極みが、イエスの十字架の出来事に証言されている。「神よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と祈るイエス。少なくても、イエスの十字架に向き合う人々は、イエスの祈りをそのように受けとめたのであろう。

イエスのもとから逃げ去り身を隠す者、見物する者、遊びほうける者、争い合う者、批難し合う者、告げ口する者、噂に興じる者… またあなたも、私も…。そして、赦されることのない過ちと罪を抱えて、「赦したまえ」と祈る他なく、その罪過を背負った者として「受容」されているからこそ新しく生きる道が拓かれていくことを知らされる。

愛をもって生きようとする私たちは、実は愛を受けなければならない身であることを示されるならば、感謝する他ない。

2014年5月11日日曜日

歴史の彼方からの“声”

牧師 山口雅弘

先週の「聖書を読み祈る会」の冒頭で、『聖書』を読むことは何千年前の「歴史の彼方からの“声”を聴く」ことであることを話した。それも、そのすべてが「死者たちの声」であり、そこに示される生命の証しをどのように聴き取り、生きた語りかけとして受けとめるかが重要であることを皆で分かち合った。

古い過去の歴史から何を聴き、何を学び、今日を明日へとどのように生きようとするかは、その人がどこに「視点」を置いて学ぼうとするかに深く結びついている。聖書に記されている何千年前の出来事、そこに語られている人々の生き様や出来事を想いめぐらす時、そのことが歴史を越えて「今」の私たちに響き合うことを知らされる。さらに、歴史の中で失われ、聖書に記されることなく隠されてしまったと思われる出来事を、わずかな痕跡を頼りに想い描く時、「歴史の彼方からの静かな声」が聴こえてくることもある。

歴史の中に生きて弱く小さくされた人々、様々な力や出来事によって悩み苦しみ、疲れ果て、打ち倒され、危機的状況の中にある人々に視点・目線を合わせると、厳しく辛い状況にもかかわらず、神の支えと希望を信じて立ち上がり、その中を生きていった人々の「声」が聴こえてくる。たとえそれが「か細い声」であっても、神に支えられて生きた人々の声を聴く時、私たち自身、心打ち震え、大きな励ましを与えられ、人の思いを越えた神の働きがあるという生命のメッセージを与えられる。
また歴史の出来事を探っていくと、ある日、あることが、歴史の大きな転換点を引き起こすきっかけになっていたことを知らされる。人の目には、よもやこのようなことがと思える出来事の中に、あるいは愚かと思える過ちや失敗の中にも神の働きがあり、神が用いて下さることを知らされる。その一人一人によって、歴史は変えられていくのだろう。

イエスに招かれ共に歩む「弟子たち」は、これという取り得のない者ばかりであった。むしろ皆、失敗や過ちを繰り返す者であった。にもかかわらず、その一人一人が、神に用いられ生かされたのである。

人の思いや行ないを越えた神の働きがあることを信じ、歴史の彼方からの「声」を聴こうとするならば、自分の行なっていることがどんなに力なく弱く見えようと、失敗や欠けがあろうとも、神の計画の中にあるということをいつか必ず知らされるであろう。このことを感謝して生きる者でありたい。

2014年5月4日日曜日

詠み人知らずの“さんびの詩(うた)”

牧師 山口雅弘

今はもう名前の知られない人が生きた証しとして詠んだ詩を紹介したい。歴史の中で確かに生きた人が、神に思いを向けて詠んだ詩であろう。「歴史の彼方からの声」として心にとめたい。

神を呼びまつれ          
いばらの荒野に迷えるときも    
神は汝を求めたずね給えば     
逆らうことなく神を呼びまつれ   
「神よ」と声の限りに        

病の床にも淋しきときも     
神は汝がそばに在りし給えば   
臆することなく神を呼びまつれ  
「わが神よ」と声の限りに     

いこいの園にて楽しむときも       
神は汝がそばを歩み給えば     
ためらうことなく神を呼びまつれ  
「われらの神よ」と声ほがらかに   

愛さない罪を
愛さない罪を 
心の底からざんげします
傷ついた人の苦しみを
神よ 愛によって癒したまえ

賜った愛を
心の底から感謝します
応えない者のおろかさを
神よ 愛によって赦したまえ

助け合う愛を
心の底から祈り求めます
弱い私たちの行く道を
神よ 愛をもって照らしたまえ

2014年4月27日日曜日

教会での葬儀について

牧師 山口 雅弘

先日の受難週を迎え、中川雪子さんの葬儀を教会で行った。人生の最期をご家庭で聖書を読み祈りを持って過ごし(前夜式)、教会でご遺族また教会の方々の祈りと賛美に包まれて地上でのお別れの時を過ごした(葬儀)。神のもとへの凱旋の時であった。また、神に与えられた生命と死をめぐり、人の生き死について色々なことを考えさせられた。
誰にでも必ず「死」は訪れる。その死はいつ来るかわからない上に、死を迎えると何らかの「葬儀」が行なわれる。しかも、葬儀に直接関わり心を配るのは当人ではなく、遺族・関係者である。その一人である司式者として、教会での葬儀について改めて考えてみた。
教会での葬儀は、亡くなった方との地上での最後のお別れとして、遺族また私たちにとって大切な時である。故人の信仰とその生涯を思い巡らし、その人のすべてを神にゆだねる時である。また、どのような人をも神はあるがままで受け入れ、生かして下さったことを想い、遺族に慰めを祈り求める「礼拝の時」でもある。であるとすれば、教会では、特別の事情や緊急の場合を除き、死者や遺族の信仰、また私たちの故人への想いがどうであろうとかまわない葬儀は行ない得ないであろう。
ここで問題になるのは、故人が教会に来ておらず遺族が信仰者である場合、また故人が教会に来ていても遺族が教会に来ていない場合である。
後者の場合、教会に来ている方は、生前に「自分の葬儀」について家族に希望を伝えておく必要があるだろう。葬儀に直接関わるのは遺族だからだ。前者の場合、家族の人が教会に連なるように祈りつつ、自分が行っている教会のこと、また「葬儀」について機会を見て話し合うことが必要である。それがかなわない場合、牧師・役員に葬儀について相談することが望ましい。同時に、故人が違う信仰をもっていた場合、そのことを先ず尊重して熟慮し、遺族の希望をよく聞く必要があろう。
 愛する方の死に直面することほど哀しく辛いものはない。教会の葬儀では、「別れ」の悲しみに沈む方に神による慰めと励ましがあるように心から祈り、また「自分の生と死」を見つめ直し、神の導きを祈り求める。さらに、生をも死をも支配する神に信頼し、「神が与え、神が取られる。神の御名はほむべきかな」(ヨブ1:21)と神に思いを向け、すべてをゆだねる時でありたいと願う。神のもとでの大切な最後のお別れであるだけに、葬儀を頼むという都合だけが優先するならば、寂しい限りである。

2014年4月20日日曜日

教会のドラマ(2)

牧師 山口 雅弘

 教会が社会の中で「小さくされ・弱くされた人」、痛み・哀しみを抱える人と共に生きようとすれば、「会員」や礼拝・集会の出席者数に表われない、「教会のドラマ」を地下で支える人々がいることを自覚したい。
ここで、最初期の教会の姿を垣間見たい。「教会」を表す言葉は、「集められた者の集い」を意味する「エクレシア」というギリシャ語である。最初期のキリスト者は、自分たちの小さな群れを、神に「呼び集められ」生かされる者の集いであると言い表した。その教会は、まさに少数者の集いであり、弱さや不完全さ、また苦難があろうとも、しかし神に「呼び集められ」生かされる共同体である、このことを自覚し歩み続けた。そして何よりも大切なことは、人を差別し分断するあらゆる垣根を越えて、誰もが自分の「居場所」をもてるように、そのヴィジョンと実践を「エクレシア」と言い表したのである。
最初期の教会の姿を見ると、実に多様だった。また3世紀頃になるまで、ほとんどの教会は独自の建物を持っていなかった。人々は、ユダヤ教の会堂を借りて集まり、あるいは「家の教会」と呼ばれるように個人の家に集まり礼拝を捧げ、また川のほとりで礼拝を捧げる教会もあった。フィリピの教会は、おそらく川のほとりで祈りと礼拝を捧げる集会として始まったと推定される。そのエクレシアの群れには、子どもから年配の老若男女、壮健な人も病気・障がいを持つ人もいて、様々な違いを持つ人々が厳しい時代の中で共に生きていこうとしていた。
さらに最初期のエクレシアは、建物のみならず、牧師すらいなかった。すべてが無い無い尽くしから始まったのである。小さなエクレシアの群れには、組織や役職もない。もちろん、総会も決算総会もなかった。このことは、具体的な教会運営から見れば大変なことであろう。
しかしエクレシアの人々は、神と共に、いつも「未来」に向かって生きる「未来志向」の信仰と心意気を持ち続けた。そのようにして、神を讃美・礼拝する教会として歩み続けたのである。また、神に生かされるからこそ「今」がある、と自覚したのであろう。私たちは、その信仰と心意気を受け継いでいきたいものである。
  イエスは、当時の社会の中で小さく弱くされた人の友として生き抜いた。その人々が「教会の群れ」を形づくっていったのである。 教会のドラマを根底から支えるイエスのドラマに目をむけ、そこに参加する稲城教会でありたい。

2014年4月13日日曜日

教会のドラマ(1)

牧師 山口 雅弘

 私は4月1日(火)より稲城教会に遣わされた。教会の皆さまと新しく歩み出すために「いざ、出で行かん!」と感慨深い思いを持つ。そこで教会の働きの一つとして、この「牧師の徒然草」を書き始めたい。教会の現場と聖書・イエスの捉え直し(聖書学)、社会の諸問題解決の働きとの橋渡しをしながら、「教会」についての考えの一端を述べたい。
 私の故郷の札幌では、春になると草花が一斉に生命を輝かし始める。その時、生命は目に見えない地下にあることを知らされる。目に見える地上の働き以上に、壮大なドラマが地下で展開しているのだろう。
 キリスト教界には「教勢」という言葉がある。教会に集う人の数などでそれを表してきた。大切なことは、人数・経済的規模、宣教の働きなどをめぐる「議論」に留まらない。人数や経済力が増すことを真剣に願いながら、宣教とは何かを問いつつ、量も質も一教会だけでは計れない様々な地下の営みがあることを心に留めたい。
教会がこの社会の中で「小さくされ・弱くされた人」、痛み・哀しみを抱える人と共に生きようとすれば、「会員」や礼拝・集会の出席者の数に表われない、「教会のドラマ」を地下で支える人々がいることを自覚したい。教会に来ることができないまでも教会のために祈り、献金して支える人々、教会外の支援者、いわゆる「シンパ」などがそうである。
イエスは、当時の社会の中で小さく弱くされた人の友として生き抜いた。その人々が「教会の群れ」を形づくっていったのである。(続 く)