2016年5月29日日曜日

未来への眼差しー沖縄の願い

牧師 山口 雅弘

   どれほど苦しいこと、悲惨なことがあっても、未来への眼差し、希望を失ってはならない。その思いと意志を強く持ちたい。

  今年3月に、日本国家から切り捨てられているとしか思えない沖縄で、「再び」アメリカ兵から性的暴力を受けた女性の事件が起きた。また先日、元アメリカ海兵隊員で軍属として沖縄の基地で働く人によって、女性が殺され遺棄される事件が起きた。「もういい加減にしてほしい!基地があるために…」という思いを、沖縄の人の誰もが持っているであろう。

  2008年に、沖縄に行ったことを思い起こす。小雨が降り、風の冷たい辺野古の海を眺め、色々なことを考えさせられた。沖縄の様々な現場に立ち、その場の空気を吸い、人々と語り合う機会を得た。その前後にも、何度か沖縄を訪れたが、行く度ごとに沖縄の厳しい現実に心痛み、沖縄の現実を風化させてはならないという思いを与えられている。

  沖縄では、様々な夢や希望、また多くの可能性を持つ女性たちの人生が奪われ、殺されていく悲劇が繰り返されている。その現実の中で、アメリカ軍の最高司令官や要人、さらに日本の首相や政治家たちも、「悲劇が繰り返されないように・・・」云々と決まり文句を繰り返していることに、沖縄の人々は「チム・グリサ」、「肝が引き千切られるような痛み苦しみ」を日常的に抱えているであろう。

  原因ははっきりしている。沖縄に集中して米軍基地があるからだ。沖縄以外にも基地があり、性的暴力や殺戮が起きているのも確かである。これらの基地が、ベトナム戦争、アフガンやイラクなどの戦争への発進基地になってきた。また、基地を撤廃すると、とりわけ沖縄では深刻な就職難が起きるという苦渋に満ちた問題を抱えている。

  しかし、沖縄の一等地にある基地を平和利用や観光の場に用いるなど、知恵を集め努力して問題を解決しようとする、その「希望」を持つ人々も少なくない。未来への眼差し、希望を持つ人がいる限り、必ず願いや平和が少しずつ実現する、このことを私たちも信じて生きていきたい。

 沖縄は、琉球王国時代はもとより、「武器」を持たない「平和を造り出す人々」の生きる場であった。現在、その沖縄に戦争のすべての武器が集中して存在する。しかし私たちは、沖縄の現実を忘れずに、「平和を造り出す人は幸いである」とのイエスの語りかけを聴き、それぞれの場で「平和を造り出す人」として、未来への眼差し、希望を持ち、「今」を生きていきたい。

2016年5月8日日曜日

ペンテコステ・教会創立記念礼拝を前に

牧師 山口 雅弘


   次週はペンテコステ・教会創立記念礼拝を迎える。ペンテコステは「聖霊降臨日」とも呼ばれ、神の働きとしての「聖霊」により「教会」が地上に誕生したことを記念する日である。稲城教会もまた、1949年6月のペンテコステ近くに「伝道所」として日本キリスト教団の認可を受け設立された。しかし、それ以前に、満州から帰国した数名の方々を中心に、何年もの間、礼拝をささげられてきた歴史があることを忘れてはならない。少しでも多くの人が「教会」に集い、共に礼拝をささげることができるように、「一人が一人を誘う」働きをし、篤い祈りがあったことを心に留めたい。その祈りと働きがあってこそ、「教会」として産声をあげたのである。

  それ以来、数字では計ることのできない、教会に連なる多くの方々の人生が、教会の歩みと共にあったと思う。教会の歴史を目に見えない所で支える人々によって、教会のドラマは繰り広げられてきたのであろう。今、稲城教会は、変動する社会と歴史の中で、何を大切なものとして受け継ぎ、何を変え、何を生み出していくのであろうか。

  時は移り、人は変わる。しかし、決して変わることのない神の愛とイエス・キリストの福音に生かされている「私たち」であることを受けとめたい。

  稲城教会は、これまでもいくたびかの転機を経験してきたであろう。試行錯誤はこれからも続く。しかし、移ろい易い社会と歴史、また人の思わくがうごめく現実にもかかわらず、この社会の中で、人を打ちのめす暴力、また悪しき力と闘い、「いと小さき者」を生かす神の愛とイエス・キリストを宣べ伝えることができるように祈り求めたい。

  私たちは、教会に連なる方々の祈りと働き、また尊い「献金」をささげることによって素晴らしい「教会堂」を与えられている。稲城の地に建てられている教会が、神の愛とイエスの福音を宣べ伝える「宣教の器」として用いられるように願ってやまない。

  教会の歴史は、歴代の牧師や役員によってのみ形作られてきたのではない。その方々の祈りと働きがあって、教会の歩みは豊かにされてきたことは確かである。同時に私は、「公の歴史」に留められることの少ない人々、歴史の背後に隠され、見えにくくされていく人々への思いを熱くしている。その人々が教会を支え、献身のしるしとして「献金」をささげ、歴史を形成してきたのである。こうして、教会を支え、教会を形づくる方々が、神によって育てられる教会の歴史の主人公なのであろう。このことを忘れたくない。

2016年5月1日日曜日

憲法記念日を覚えて

牧師 山口 雅弘


    今年も全国各地で「憲法記念日」の集会が開かれるであろう。憲法が改悪され、9条さえ変えられようとする「危機」的状況にあり、「戦争関連法案」が次第に戦争への道を拓いていくことを思わざるを得ない。しかし、私たちはまた、日常生活において、その「危機感」を持たずに日々を過ごしてしまえる、このことも恐ろしいことである。

   現憲法を守ることは、戦争放棄と一人一人の生命と人権を守ることに深く関わる。過去の歴史に学び、記憶し続けなければ、再び日本のみならずアジア諸国の人々、また生きとし生けるものの命を奪うことになろう。

   幕末の一大変動期に大きな役割を果たした一人に勝海舟という人がいた。彼についての歴史的評価は色々あろうが、彼の語録集の『氷川清和』は興味深い。文庫本にまとめられているので、簡単に手にすることができる。それを読むと、勝海舟は、実に明確なものの見方を持っていたことに驚かされる。「徳川に代わるものは薩摩か長州か」という、言ってみれば仇討ち的な「私闘」になりかねないものを、彼はできる限り「公的」なものに高めようとしている。彼にとって「公」とは、どうすれば国民一人一人の益になるかということだったように思う。

   もし、そのような判断が無ければ、あの江戸城の無血明け渡しなどということはできなかったであろう。そのために海舟は恨まれ、「腰抜け」「イヌ」などと悪口を浴びせられたと聞く。しかし、国民の益と生命の尊厳をひたすら考え、「公人」として生きようとした彼は、その点で歴史を作った政治家の一人であったと言えるだろう。今の「政治屋」とは大違いの感がある。

   アメリカの「小イヌ」と皮肉られる歴代の首相、また政治家たちはどうだろうか。かつて「公人」として福田首相が公用車で靖国神社を参拝して以来、歴代の首相や大臣、政治家たちが靖国神社を参拝してきた。このことは、やがて天皇や自衛隊員の参拝の道を開くであろう。莫大な防衛費、元号法制化、「日の丸・君が代」を踏絵にした教育界への閉めつけなど、いつの日か戦前・戦中のような「国民の益」を忘れた、日本人のみならずアジア諸国の人々に犠牲を強いる「国家」の一人歩きをゆるしてしまうと思えてならない。

   さらに今、「共謀罪」という法律が刑法の一部を改正する形で復活する手順が整えられているという。「共謀罪」は、戦前の思想弾圧に使われた治安維持法の再来を思わせる恐ろしいものである。

   このようなことを見過ごせないのは、どこまでも一人一人の生命と人権を守り、愛し続けたイエスの歩みを踏みしめて行きたいからである。また、各地のキリスト者や様々なグループが、思想・政治的立場や宗教などの違いを超えて、「不断の努力によって」憲法を守る意思表明をしていきたい。