2016年5月8日日曜日

ペンテコステ・教会創立記念礼拝を前に

牧師 山口 雅弘


   次週はペンテコステ・教会創立記念礼拝を迎える。ペンテコステは「聖霊降臨日」とも呼ばれ、神の働きとしての「聖霊」により「教会」が地上に誕生したことを記念する日である。稲城教会もまた、1949年6月のペンテコステ近くに「伝道所」として日本キリスト教団の認可を受け設立された。しかし、それ以前に、満州から帰国した数名の方々を中心に、何年もの間、礼拝をささげられてきた歴史があることを忘れてはならない。少しでも多くの人が「教会」に集い、共に礼拝をささげることができるように、「一人が一人を誘う」働きをし、篤い祈りがあったことを心に留めたい。その祈りと働きがあってこそ、「教会」として産声をあげたのである。

  それ以来、数字では計ることのできない、教会に連なる多くの方々の人生が、教会の歩みと共にあったと思う。教会の歴史を目に見えない所で支える人々によって、教会のドラマは繰り広げられてきたのであろう。今、稲城教会は、変動する社会と歴史の中で、何を大切なものとして受け継ぎ、何を変え、何を生み出していくのであろうか。

  時は移り、人は変わる。しかし、決して変わることのない神の愛とイエス・キリストの福音に生かされている「私たち」であることを受けとめたい。

  稲城教会は、これまでもいくたびかの転機を経験してきたであろう。試行錯誤はこれからも続く。しかし、移ろい易い社会と歴史、また人の思わくがうごめく現実にもかかわらず、この社会の中で、人を打ちのめす暴力、また悪しき力と闘い、「いと小さき者」を生かす神の愛とイエス・キリストを宣べ伝えることができるように祈り求めたい。

  私たちは、教会に連なる方々の祈りと働き、また尊い「献金」をささげることによって素晴らしい「教会堂」を与えられている。稲城の地に建てられている教会が、神の愛とイエスの福音を宣べ伝える「宣教の器」として用いられるように願ってやまない。

  教会の歴史は、歴代の牧師や役員によってのみ形作られてきたのではない。その方々の祈りと働きがあって、教会の歩みは豊かにされてきたことは確かである。同時に私は、「公の歴史」に留められることの少ない人々、歴史の背後に隠され、見えにくくされていく人々への思いを熱くしている。その人々が教会を支え、献身のしるしとして「献金」をささげ、歴史を形成してきたのである。こうして、教会を支え、教会を形づくる方々が、神によって育てられる教会の歴史の主人公なのであろう。このことを忘れたくない。

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