2014年4月13日日曜日

教会のドラマ(1)

牧師 山口 雅弘

 私は4月1日(火)より稲城教会に遣わされた。教会の皆さまと新しく歩み出すために「いざ、出で行かん!」と感慨深い思いを持つ。そこで教会の働きの一つとして、この「牧師の徒然草」を書き始めたい。教会の現場と聖書・イエスの捉え直し(聖書学)、社会の諸問題解決の働きとの橋渡しをしながら、「教会」についての考えの一端を述べたい。
 私の故郷の札幌では、春になると草花が一斉に生命を輝かし始める。その時、生命は目に見えない地下にあることを知らされる。目に見える地上の働き以上に、壮大なドラマが地下で展開しているのだろう。
 キリスト教界には「教勢」という言葉がある。教会に集う人の数などでそれを表してきた。大切なことは、人数・経済的規模、宣教の働きなどをめぐる「議論」に留まらない。人数や経済力が増すことを真剣に願いながら、宣教とは何かを問いつつ、量も質も一教会だけでは計れない様々な地下の営みがあることを心に留めたい。
教会がこの社会の中で「小さくされ・弱くされた人」、痛み・哀しみを抱える人と共に生きようとすれば、「会員」や礼拝・集会の出席者の数に表われない、「教会のドラマ」を地下で支える人々がいることを自覚したい。教会に来ることができないまでも教会のために祈り、献金して支える人々、教会外の支援者、いわゆる「シンパ」などがそうである。
イエスは、当時の社会の中で小さく弱くされた人の友として生き抜いた。その人々が「教会の群れ」を形づくっていったのである。(続 く)

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