2015年10月11日日曜日

神が見ておられる

牧師 山口 雅弘

 「神が見ておられる」、このことはどんなに大きな慰めになり、励ましになるだろうか。他の人が自分をどのように見ようと、どう評価しようと、誰にも分かってもらえなくても、「神は見ていて下さる」。たとえ、人との関係がもつれ、孤独を抱えていようと、弱さや病や老いの中で不安と哀しみに心がふさがれていても、「神は見ていて下さる」というのである。

 同時にこのことは、私たちに厳しく迫ってくることがある。誰が見ていなくても、自分の思いと行ないを神は見通し、心の奥底まで「見ておられる」。

 このことを意識し自覚することは、とても大切になるだろう。特に、互いの状況を想い見ず「優しい心」を持てないで、互いに批判・非難することが多い現実の中で重要になる。トゲトゲした人間関係の中で、さらに個人的にも民族的にも、国の間においても争いやぶつかり合いが絶えないとすれば、「神が見ておられる」ことを意識し自覚することは、私たちの生き方や関係を前向きに豊かにする可能性を秘めていると言えるだろう。

 ドイツのケルン市に、有名な大聖堂がある。157メートルもある高い塔が二つそびえている。1248年に起工され、632年かけて完成されたと聞くから驚きだ。教会の建築をめぐって、次のような言い伝えが残されている。塔の一番高い所で、危険を省みず一所懸命に彫刻している職人に、ある人が尋ねたそうだ。「そんな危険な所で、生命をかけ、時間をかけて彫刻しても、下からは何も見えない。それほど一所懸命にしても無駄なのに、どうしてそこまでするのか」と。職人は、「人には見えなくても、神は見ていて下さる」と答えたと言う。そしてまた、黙々と自分にできることを続けたそうだ。

 私自身、「自分を棚に上げて」人を評価・批判し、悪く思われないように人の目を意識してしまうことがある。そのことによって不自由になり、不満が心をふさぎ、無理解のゆえに人を傷つけてしまうのだろう。もっと自由に、大らかに、自分のできることをしていきたいと願う。

 「神は見ていて下さる」ことを、四六時中、意識していては息が詰まるだろう。けれども私たちは、見えない神にしばし思いをそそぐ生き方の中から、慰めや勇気、また励ましや希望を与えられることは確かである。同時に、悔い改めや新しく生き始めることを迫られる厳しさも示される。

 見える物や人の言動に縛られる現実の中で、見えない神がいつも私たち一人一人を「見ていて下さる」ことを自覚し、人との関わりを豊かに築いていけたらどんなによいだろうか。

2015年8月16日日曜日

哀しみと涙によって育つ木

牧師 山口 雅弘


  毎年8月には、特に日本の戦争の歴史を「想い起し」、その責任を心にとめる必要があろう。さまざまな人が日本のみならずアジア諸国で、今も、戦後の傷跡を背負っているからだ。しかも、沖縄の米軍基地から戦争に飛び立つ兵士が絶えないことを忘れてはならない。沖縄の基地から「従軍牧師」の「祈り」によって出立する兵士は、世界各地で繰り広げている戦争による犠牲者を生み出している現実がある。

  さらに加えて、辺野古の美しい海の中に新しい基地が作られようとしている。私たちにとり、その現実は精神的にも「遠い」ものなのであろうか?

  沖縄では「戦争」が日常化し、人々が受けている被害も無くならない。つい先日も、米軍のヘリコプターが沖縄の海に墜落した。私たちの意識の中核にこの現実を刻み、平和を造り出す者でありたい。

  私は、沖縄に生育する「哀しみと涙によって育つ木」を想い起こす。「モモタマナ」という広葉樹で、沖縄では「うむまあ木」と呼ぶ人もいるそうだ。古くから墓の周辺に生え育っていると聞く。沖縄での激戦地になった摩文仁(まぶに)の丘の「平和の礎(いしじ)」には、24万人近い戦没者の碑を見守るように、250本近くの「うむまあ木」が植えられているそうだ。この木について、沖縄の詩人が哀悼の詩を綴っている。

 「いつも墓場に立ってゐて そこに来ては泣きくづれる かなしい声や涙で育つといふ うむまあ木といふ風変わりな木もある」。

  私は、沖縄を訪れるたびに、今もなお哀しみの涙を流す人々の「哀しみと涙」を汲み取って育つ木を見つめざるを得ない。戦争は、人を加害者にも被害者にもしてしまう。
私たちは、地獄を経験し殺されていった「死者たちの声」を聞くことにより、日本の悲惨な戦争の責任とその歴史の記憶を心に刻みたい。過去から何を聞き取り、何を見、何を「想い起こし」、何を学ぼうとするかは、その人がどこに視点を置き、どのような姿勢で今日を明日に向かって生きていこうとするかに、深く結びついている。そのことは、私たちの現在と未来の「世界と歴史」に対する責任を担うことであろう。

2015年8月9日日曜日

「平和」: 一つの大切、一つの反省

牧師 山口 雅弘

  かつて政界のドンと言われた田中角栄氏は、「五つの大切、十の反省」を提唱したことを思い出す。五つの大切とは、「人間、自然、時間、資源、国」で、十の反省とは、「仲良く、年寄りに親切、他人に迷惑をかけない、…」などが挙げられた。これだけを見ると、まことに結構な徳目であろう。

  しかしその後、今に至るまでに、「文部省を通して学校教育の中にもこのような徳目を生かしたい」と強調され、次第に衣の下の刃が見えてきた。かつての「修身・道徳」の復活として具体化され、日の丸・君が代の法制化などと一連のお膳立てがなされ、国公立の大学にまで日の丸・君が代の徹底化がなされようとしている。実に恐ろしい現実である。
 
  一方で、首相、閣僚らの靖国神社公式参拝が実行され続け、皇国史観(建国神話)に基づいた「紀元節」が「建国記念の日」(2月11日)と制定され、他方、元号法制化、防衛費増額、有事立法、日・米・韓の陸・海・空の合同大演習が続き、国家機密法案の可決、そして「戦争法案」と言われる安保関連法案が可決されそうになっている。さらに、憲法「改正」… と、実に危険な道を日本は歩んできている。気がつけば、「後の祭り」になってしまいかねない。
 
 このような事態に対する私たちの感覚も、良心も麻痺しているのだろうか。そうであればこそ、五つの大切、十の反省などではなく、徹底して「一つの大切、一つの反省」に立って歩む必要があると思わざるを得ない。

 「一つの大切」とは、人間、その生命と人生を何よりも大切にし合うこと。どのような人も、尊い生命を持つ人間として生活できる社会にすること。このことから当然、福祉や差別の問題・課題などが視野に入ってくる。

 「一つの反省」とは、心底から先の戦争を反省すること。戦争に至る道で、人間よりも国や体制が大切にされ、多数の人の利益や国のためということで、どれほどの人が犠牲になり、また加害者になったであろうか。戦争責任と戦後責任は、今も続いている。私たち自身がそのことを自覚すると同時に、若い人に、それを伝えたい。

 一つの大切、一つの反省に真剣でありたいと願ってやまない。次の歴史を担う幼い子どもたちのためにも。

2015年8月2日日曜日

「平和聖日」を覚えて

牧師 山口 雅弘

  本日は、日本キリスト教団で「平和聖日」と記念される日である。全国の諸教会が、かつての戦争を是認し、協力さえしてしまった罪責を覚え、平和を造り出すための歩みを新たにするように定められた日である。この日の礼拝で、村川元さんが貴重な体験をお話し下さることになり心から感謝したい。また日常生活において、平和実現のために祈りつつ生きていきたい。

  私たち人間は、なぜ愚かにも戦争をするのだろうか? 神によって尊い生命を与えられている人間が、どうして互いに傷つけ、争い、殺し合うのだろう? これは、単に人間の本性だとか、性善説・性悪説だとか、「原罪」などと言うことで説明・解釈できるものではない。

  人間の歴史を見ても、琉球や沖縄の人々、アイヌ民族や少数民族と言われる人々は、戦争をしない民族としての歴史を持つ。戦争は、決して良いものを生み出さない。私たちは、今をどのように生きるかが問われている。

  人の生命が踏みにじられる中で、戦争を始める人間は、戦争を止めることができる。また、戦争を止めさせることもできる。私たちはどんなに小さく弱い者であっても、身の回りの人間関係の中で、また社会の中で、平和の実現を祈り求める者でありたい。私たち一人一人が、宗教の違いを越え、政治的立場や様々な違いを越え、自分にできることをしたいと思う。
  先日は、特別伝道礼拝に多くの方々が集い、豊かな礼拝の時を持つことができた。また、近隣の仏教者や平和の実現を求めて活動する方々が来て下さり、感謝したいと思う。特に今、「戦争法案」と呼ぶべき法案が衆議院で採択され、参議院でも政府与党の多数派により決議されそうな事態を迎えている。このような危険な状況を阻止できないことは、私たちに責任があり、また選挙においてその法案を推し進める議員を選んでしまった国民に大きな責任がある。それでも私たちは、決して希望を失わない。知恵を集め、再び戦争へと突き進む暴走と暴挙を何とか止める努力をしたい。それは、未来の平和を実現する生き方に繋がり、無関心でいては大きな濁流に流されるだけだと思うからだ。
  教会に集う子どもたちやティーンズを見ていて、子どもたちの未来を暗いものにしてはいけない、子どもたちの笑顔を消してはならないとつくづく思う。そうであればこそ、小さな行ないの積み重ねによって、平和を実現する歩みが私たちに求められている。具体的に動けなくても、後方にいて支援し、平和を祈り求めることは誰にでも必ずできることを心に刻みたい。

2015年6月14日日曜日

遺稿集 『愛を告げる小さなパイプ』から

牧師 山口 雅弘

  死後の世界がどのようなものであるか、誰にも分からない。しかし、誰ひとり例外なく、すべての人に「その死」は訪れる。これほど確かなことはない。そして、不条理な死を迎えることは哀しい。しかし私たちは、死を迎えた方のすべてを神に委ねる神への信頼を持てる幸いを与えられている。また、「自分の死」を迎えるまで、尊い命をもって生きる者とされている。

  少し前に、理不尽な事情で死刑に処せられた五月明という方の遺稿集を、むさぼるように読んだことがある。五月さんの一日一日の生命は、かけがえのない繰り返すことのできない日々であった。

  彼は、いつ死刑執行の呼び出しがあるか分からない「自分の死」を前に、恐れおののき、不安の日々を冷たい牢獄の中で過ごした。それでも、何とか「一日の生命」を大切に生きようとした。彼は、その葛藤と希望をノートに書き記した。それが遺稿集『愛を告げる小さなパイプ』にまとめられている。それを読み進めるにつれて、五月さんの心奥深くにあるものを想い巡らさざるを得なかった。彼のいくつかの句を紹介したい。
  • 今日からは 死刑囚となり耐え生くか 余命短き命 愛でつつ
  • 妻と子に詫びの文を書かむとて 夜半まで目覚めて 言葉あらなむ
  • ゴキブリを袋に入れてかいながら 神の御前の我が姿思ふ
  • 妻と子の顔を見た時 言ふ言葉  髭をそりつつ あれこれ思う
  • 子のほほが 我の両のほほにふれ 一時の父の幸せにひたりぬ
  • 寒き夜は 節々痛みて眠られず 胸に手を組み 主のみ名を呼ぶ
  •  祈りにて洗礼受けしこの喜びを 忘れず生きたし 召さるる日まで
  • キリストに導きゆかれ 真泉のほとりに根をはる 緑樹とされたし
  • 沈黙の祈りの後は 山々の峰に立つより 心すがしさ
  • 自由の身が恋しくなって涙が流れる時は 目を閉じてがまんします
  • 心が重く暗い時は あなたが下さった光のみふみを読みつづけます
(五月 明 遺稿集『愛を告げる小さなパイプ』より)

2015年5月31日日曜日

取り乱しの経験

牧師 山口 雅弘

  しばらく前に、ある方から手紙をいただいた。その方は、礼拝に来たことがないけれど、誰かと何らかのつながりを求めていたのであろう…。

  電話やメールが全盛の時代に、その方は、「手紙」を通して心の内に秘めていたものを語ってきた。おそらく、一字一字に思いを込めて書いたのだろう。とても丁寧な字体だった。

  けれどもその内容は、家族との確執、癒される希望を失った病の苦しみ、先の見えない不安と恐れ、死の予感… を綿々と綴るものであった。

  「答え」をすぐに求めているのではない。簡単に「答え」を見出せるものでもないと思う。「誰か」に、心を取り乱すあるがままの姿をぶつけたかったのかもしれない。私はその手紙を読み、心の叫びを聴き、祈る他ない。

  人間だれだってみっともないものだ。何もかもきちっと整理できるものではない。人生において、どうにもならないことにぶつかり、途方に暮れることが誰にでもある。不条理に打ちのめされ、貝のように硬い殻を閉じて、人知れず泣くしかない時もある。希望さえ見出せない時、人はオロオロするまでに取り乱し、その重荷につぶされそうになる。その時は、自分のことしか祈れない。否、その祈りさえ言葉にならないこともある。

  そのような時、その人に寄り添って一緒に哀しみ、辛い思いを少しでも共にしようとする他ない。その生き方を抜きにして、重荷を背負う人に向かって教条的な教えや神学用語にちりばめられた「言葉」を語る者は、しばしば自分の目の前にいる「生身の人間」に向き合っていないのかも知れない。自戒せざるを得ない。

  けれども考えてみれば、自分ではどうすることもできず、オロオロするほどに取り乱す人は、自分の心の闇から搾り出すように、言葉にならない「うめき」のような神への「祈り」を与えられるのであろう。

  取り乱しの経験は、牧師であろうとなかろうと、いつも神の前の自分を見直す時になる。そして、神にも人にも取り繕うことができない、裸の自分を神の前に差し出す時になるのであろう。
自分の弱さを知らされ、心の内にある闇を見つめる時、あるがままの自分になって「祈り求める」時、神を見上げることができる。

  そして「いつしか」、不思議なほどに「平安」を与えられ、心の縛りが解き放たれ、明るい思いをさえ与えられることがある。祈りをぶつけることができる神がおられることは、何と幸いであろうか。

2015年5月17日日曜日

神の前に独り、そして…(ペンテコステに寄せて)

牧師 山口 雅弘

  次週の24日(日)は、ペンテコステ・教会創立を覚えて、子ども中心のメッセージを分かち合いながら、讃美と感謝の礼拝を捧げる予定である。また、水田洋美さんが稲城教会に転会されることを、心から感謝したい。

  教会には色々な方が訪れ、あるいは電話で、その方が抱えるぎりぎりの問題や悩み・苦しみを話して下さる。私は誠実に聞くだけで、心痛めながら祈るほかないことが多い。また、病気や加齢、ご家族の介護などのために礼拝を共にできない方がおられる。教会の内外を問わず、様々な方とその家族が、心身ともに支えられるようにと祈らざるを得ない。

  私たち相互の人間関係において、互いの励ましと祈り合い、また愛の行ないが心豊かなものを生み出すことは、神による大きな祝福であろう。

  同時に、人間関係ほど不安定で、不確かなものもない。夫婦や家族、また友人や知人などの間にすれ違いや争いが起き、憎しみが生まれ、別れが絶えない。教会も例外ではない。神に支えられ生かされている者同士であるが、私たちは皆「独り」であるという厳粛な事実の中に生きている。

  人は本来、「神の前に独りである」ことを自覚し、神の前に自らを省みる必要があるだろう。そして、自分の「孤独」に目覚めるならば、共に生きていこうという新しい前向きな人間関係も生まれる可能性がある。

  最初期のキリスト者は、自らの破れと弱さに打ちのめされ、ローマ帝国の過酷な支配、またユダヤ教の宗教的な圧迫によって様々な苦しみを強いられていた。そのことが、個人的な人間関係や家族の関係にも直接・間接にしわ寄せとなって現れていた。キリスト者は、社会的にも個人的な問題においても、それらの問題と闘うことに疲れ、悲痛な孤独の中にいた。

  しかし、そうであればこそ心を高くあげ、神に向かって祈りつつ生きようとしていた。独りであることを自覚し、しかも共に集まり礼拝を捧げ、祈っていた。その時に、人知を越えた神の力(聖霊の働き)を与えられ、立ち上がることができた。それがペンテコステの出来事であった。そして、小さな「教会」が誕生した。小さくても、尊い生命と人生を神に与えられ、生かされる者が教会として歩み出すことができた。そのことを、使徒行伝2章は、おどろおどろしい表現を通して、何としても伝えたかったのであろう。

  私たちは、それぞれが重荷や悩み・苦しみを持ちながらも、神の前に独りぬかずき、そして共に神に祈り、礼拝を捧げたい。その礼拝によって、すべてのことを始める稲城教会でありたいと願ってやまない。

2015年5月3日日曜日

言葉の隙間(すきま)を埋めるには

牧師 山口 雅弘

  先週、私たちは教会総会を開き、新年度に向けて歩み出した。稲城の地にたてられた教会として、一人一人が社会の中で神の愛と平和を宣べ伝え、一人でも多くの人を教会に招き、共に礼拝を捧げていきたい。そのために、私たち自身が礼拝を大切に捧げ、家族や友人、また知人に「教会に一緒に行ってみませんか」と声をかける一年でありたい。

  私たちが「伝道」する際に、自分の意志や希望を伝え、理解を深め合うための一つの手段として「言葉」がある。語り・聞く、書き・読むにしても、その言葉は、決して抽象的なものとして存在しない。言葉の背後には、言葉を用いる人の生活や生きる姿勢、人柄や人格などがあり、それを想い見ながら言葉の受けとめ合いをすることが大切であろう。

  私たちが生まれて今日まで、どれほどの人と触れ合い、出会ってきただろうか。その一人一人と言葉を媒介にして互いに知り合い、理解し合ってきたと思う。しかし、現代的な特徴として、互いのつながりやコミュニケーションをなかなか持てず、一人一人が個の内に閉じこもってしまうことが指摘されている。「孤独」ではなく、「孤立」してしまうこともある

  言葉は確かに不完全で、欠けや限界を伴う。何かを伝える言葉が、同時に何かを隠し、十分に自分の意志を語れず、さらに、自分の意図に反して誤解や偽りさえ生むこともある。そのために多くの行き違いが生じ、傷つけ合うことも少なくない。そのことによって、一人一人は自分の正直な思いを心に潜め、「孤立」に引きこもっていくのかも知れない。傷つけ、また傷つきたくないからであろう。

  言葉の不完全さ、またその隙間を埋めるにはどうしたらよいのだろう。必要なことは、言葉を語りかける具体的な人を思いみる想像力、その人への思いやりであり、また「信頼」を欠くことができないと思う。もし言葉を交わす人々の間に、互いの思いやりや信頼を必要としないならば、言葉の隙間はなかなか埋まらないだろう。愛し合う、支え合う、生かし合う、祈り合う、共に生きるなど、もし語り合う者の間に思いやりや信頼がなければ、ただ虚しく響くものになってしまいかねない。
  時は流れ、人は移り変わる。言葉も飛び散っていく。それだけに、言葉が持つ豊かさを互いに生かし合い、信頼関係を築いていくことが大切である。そのためにこそ、神の前に独り進み出て、新しく生きるために自らを省み、神の語りかけを聴いて生きていきたい。教会は、そのような場であろう。

2015年4月26日日曜日

パソコンが使えなくても

牧師 山口 雅弘

  かつてパソコンが世に出始めた頃、時代の先端をいくと自負していた人から、「山口先生、まだパソコンを使わないのですか」とからかわれたことがある。その後、流行にはすぐ乗りたくない天邪鬼な私に、同僚の牧師たちからも同じように言われたことを思い出す。ずいぶん経ってからだが、私もパソコンを購入し、文章を作成する便利な道具として使っている。

  少し前だが、テレビで、パソコンや携帯電話のスマートフォンを使えない父親に、娘が「時代は変わったのよ」と揶揄して語る様子を見たことがある(私もスマホを使っていない)。なぜか、心が寂しくなる気がした。

  世の中すべてが早く進み、確かに便利になっている。それ自体を否定はできないであろう。文明の利器によって、どれほど助かっている人が多いかを思うからである。

  同時に、いつの間にか最先端の機器が身の回りにあふれ、合理的なものが優先され、それについて行けない人々は取り残されていく社会になっているのではないだろうか。早く話せない人、思うように手足を動かせない人、心身に障がいをもつ人、お年寄り、様々な弱さを持つ人々は、その人間性まで軽く見られ、無視されている気がしてならない。

  先日、牧師の集まりで「主の祈り」を共に祈った時、その早いこと、超特急で早口言葉のような祈りであった。「これでは、ゆっくりにしか話せない人と共に祈れませんね」と「さわやかに」言わずにおれなかった。ほとんどの牧師が頷いたので、「さわやかに」聞いてくれたと思いホッとした。かく言う私自身、最近、多くのことを語りたいために早口でメッセージを語る傾向にあると自戒している。
知的な遅れを持つ人と共に生きる牧師が、次のように訴えている。見えないもの、非合理なものを無視し、見えるもの、合理的なもの、新しいものだけが優先される社会は、貧しい社会と言わざるを得ないと。確かに、心豊かな文化、愛、優しい心を持たない社会になると、人間だけでなく、自然も動植物も滅び、多様なものの共生の道が閉ざされてしまうであろう。

  私たちは、見えない神に思いを向けながら、小さくされ弱さを抱えている人、社会の動きから取り残されていく人、「強い者」の犠牲にされていく人、悩み苦しみ・愛を必要とする人と、愚直なまでに共に生きていきたい。イエスがそうであったように。そのような稲城教会として、新たな思いをもって歩み出したい。今日は総会の日。

2015年4月19日日曜日

イースターと教会総会

牧師 山口 雅弘

  イエス・キリストの復活の朝、イエスに従う者たちの間にあったのは喜びというより驚きと不信であった。彼ら・彼女らは、イエスの復活の語りかけを聞いても、「それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった」と言われる(ルカ24:11)。失意とイエスを見捨てた自責の中にいる弟子たちが、自らの不信と不確かさを心に抱き、すぐに喜びと確信を持てなかったのは当然であろう。その弟子たちに、私たち自身の姿を重ねて見る思いがする。

  復活のイエスに出会った彼らは、幻想をいだき幻覚を見たのではない。異常体験をしたのでもなく、物理的に目に見える復活のイエスに出会ったのでもない。もちろん、「科学的」にそのように説明する人もいるが、むしろ聖書の物語が強調することは、共にいるイエスを「認めることができず」に落胆する弟子たちの姿、希望を失って散りじりになる中で、「聖書全体にわたり、…説き明かされて」、イエスに「出会った」ことである。つまり、聖書の語りかけ(メッセージ)を通して、復活の生きたイエスとの実存的な出会いを与えられたのである。そのことが、ルカ福音書に示されるエマオ途上の出来事、また他の福音書にも語られている。

  弟子たちは「聖書の言葉」を聞くことを通して、十字架の死に至るまで神の愛に生きたイエスの一つ一つの出来事を心に思い巡らし、決して美化できないイエスの壮絶な死に、イエスを追いやる自分自身を見つめ直していた。そこでイエスの愛を深く想い起こし、罪の深さを心に刻み、その中で、「互いに心が内に燃える」経験を与えられたのであった(ルカ24:32)。

  「教会総会」と言えば、何となく肩苦しく感じ、気後れする人も少なくないであろう。教会がこの世の組織であるからには、宣教計画や諸活動の反省と展望、経済的「運営」のことを検討しなければならない。さらに、教会の歩みの不確かさや不足を思わざるを得ないかも知れない。

  けれども教会総会では、教会に集うすべての人が、教会の歩みの不確かさや弱さの中で「聖書のメッセージ(言葉)」を聞き、祈りをもって新年度に向かって歩み出すことを大切にしたい。「礼拝」を捧げることを中心に、奇をてらったことの実践だけを求めるのではない。復活のイエスに支えられてこそ教会の歩みがあることを互いに「認め」、「互いの心が内に燃える」経験を分かち合う出発の時にしたいと願う。

  神への感謝と祈りがある所に、どのような困難が待ち受けていても、共にいるイエスに応える歩みと希望が与えられる。これは確かである。

2015年4月11日土曜日

感謝の折り目

牧師 山口 雅弘

  稲城教会に招かれて、一年が経った。単身赴任とは言え、生活に必要な物を揃えての引っ越しの準備、着任してすぐに毎週の礼拝の準備に忙殺されてきた。しかし何よりも、私を迎えるために、多くの方々の祈りと備えがあったことを肌で感じることができ嬉しく思う。

  この一年を振り返ると、長くもありあっという間に過ぎ去ったようにも感じる。人との新しい出会いも与えられている。地上でのお別れをし、神のもとに送った方々もいる。多くの方の喜びや悲しみ、切実な祈りや願いを知らされる中で、礼拝で語るメッセージは、教会の現実とそこに連なる人々との関係で生まれることをしみじみ感じさせられている。また、様々な課題や問題に直面し、予想もしていなかった教会のこれまでの歩みと事情にたじろいだりもしてきた。

  にもかかわらず、稲城教会の方々と楽しく歩んでくることができ、神に心から感謝せざるを得ない。
  全国にある大方の教会では、複数の牧師や事務員がいる大きな教会とは違い、牧師は「何でも屋」になって色々なことをしているだろう。不器用な私にとって、礼拝や集会などの準備以外に、庶務は意外に時間を必要とする。様々な方との面談、訪問、便りで安否を尋ねることも、大切な働きになる。
  その中で、教会の方々や役員の方々が、掃除に始まり、礼拝堂に飾る花の準備や庭の花の手入れ、営繕の働きなどをして下さっていることを感謝したい。実務ができなくても、礼拝に来られない方を覚えて祈り、教会の働きを支えるために献金し、礼拝に可能な限り参加する方々がいることを感謝したい。
  「牧会」とは何かと問われると、杓子定規に答えられないが、礼拝を含めて、人との関わりの中で「生命と人生を大切にする」すべての事柄が牧会につながると言えるだろう。さらに私は、教会外での活動、人権や社会的な問題に関わること、神学校での教育や研究も大切な働きであると受けとめている。
  この一年、私は何を語り、何をしてきたかを静かに省みたい。イエスが生涯を通して示した神の愛と平和の福音、癒し、権力への挑戦的な生き方などを伝えるのに、力の無さをつくづく思う。同時に、肩の力を抜いて、私自身がもっと「楽しい」日々を過ごすことが必要だと思うこともある。
  現在、聖書の学びで真剣に問われていることを教会でどのように共有するか、稲城教会はこれからどのような歩みをすべきかなど、時間をかけて皆さんと共に考えていきたい。神の働きを現わしていく教会として歩むために、欠けの多い私が用いられますようにと祈りつつ、感謝の折り目としたい。

2015年3月1日日曜日

ひと一人の大切さ(2)

「思想・信教の自由の日」に寄せて

牧師 山口 雅弘

  日本の教会は、2月11日を「思想・信教の自由を守る日」と記念している。そのように定めたのは、教会が戦前・戦中の国家体制や天皇制を認めて戦争協力までしたことを悔い改めることに他ならない。そして再び、軍国主義的な国家体制や天皇制による秩序によって、誰一人として人間性が損なわれ、信じる自由を奪われ、言論や思想の自由を損なわれることのないように、不断の努力によって「思想・信教の自由を守る」という志を明らかにした。それは、どんなに力弱く小さな人も、誰からも何からも束縛されずに、自由な人間としての尊厳をもって生きることができるようになるための生き方を示している。

  社会の組織や秩序、また規則などは、社会生活や家庭生活を送る上で必要であろう。それらは、「一人ひとりの人間を生かすために」という大前提のもとにこそ大切である。しかし、秩序や組織・体制を守るために人間性が奪われ、弱さを持ち小さくされている人々が犠牲にされる、このことが世の常である。そして、秩序を要求するのは、いつも権力者である。

また強い者は、自分の都合に合わせて規則を作ろうとする。憲法「改正(悪)」、日の丸・君が代の強制などは、その典型であろう。

  イエスは、一人の人の弱さに寄り添い、規則や組織や、秩序や慣習などを破ってでも「ひと一人を大切にする」生き方を貫いた。それゆえ、当時のローマ社会、またユダヤ教社会において「異端者」と見られ、思想・政治犯に対する死刑方法であった十字架に付けられ殺された。他にも多くの人々が、ローマ・ユダヤ世界に対する反逆者として十字架刑で惨殺されていった。

  しかし、権力や暴力では決して滅ぼされない「復活の生命」を神に与えられたイエスは、今も人を生かす方として「生きている」というメッセージを私たちは与えられている。
  私たちは、それぞれの生きる場で、自分の弱さに寄り添っていて下さるイエスに生かされ、他者を愛する者として共に生きる生き方へと促されている。イエスはいつも、「神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」、「これこそが最大の掟である」と示しながら、私たちの生きる道を照らしてくださる。

  「思想・信教の自由を守る」ことは、イエスの示す生き方と切り離せない。それはまさに、私たちの信仰の課題であろう。

2015年2月15日日曜日

ひと一人の大切さ(1)

「思想・信教の自由の日」に寄せて

牧師 山口 雅弘

  2月11日は、日本の「建国記念の日」と制定されている。「建国記念日」は、かつて「紀元節(きげんせつ)」と呼ばれ、神武天皇の即位を祝う日であった。

  神武天皇は日本書紀の神話に出てくる人物で、紀元前660年2月11日に、初代天皇に即位したとされている。この神武天皇が「日本国」を作り、日本の歴史を支配するという「建国神話」が生まれる。その神話に基づき、明治政府は「国家神道」を柱に天皇制確立のために「紀元節」を制定した。以来、紀元節は重要な祭りごとになり、特に戦前・戦中において、国家体制によって人権や思想・信教の自由が奪われ、天皇制に反対する人々やその式典は弾圧されていった。

  戦後も「紀元節」の式典は続けられた。そして、それが「建国記念の日」と名前を改められ、正式に日本の祝日に制定されたのが1966年であった。

  1980年の「建国記念奉祝式典」(神社関係者と右翼団体の主催、総理府と当時の文部省が後援)の時、運営委員長の清水幾太郎氏は、次のように表明している。

  「建国記念の日とは何ですか。紀元節と呼ぶべきです。本日は紀元2640年を迎える日です。日本が幾久しく存続するために、・・・ 赤い血を流し、その身命をもって君国に捧げる覚悟を持たねばなりません」云々と。要するに、これからも戦争によって命を失い、血を流しても、「君国」つまり「天皇の国」に命を捧げる覚悟を持たねばならないと言っている訳である。

  2月11日は「建国記念の日」と名前を変えたが、その本質は全く変わらず、否むしろ、戦前・戦中の言論統制、思想や宗教弾圧の暗い歴史がじわじわと社会に広がっていると言わざるを得ない。「憲法改正(悪)」の声、軍事力増強と防衛費増大、そして防衛庁が防衛省に格上げされ、「教育改革」と、本当に危険な事態になってきていると言わざるを得ない。

  時あたかも、安倍首相は吉田松陰を絶賛し、NHKでは松陰の家族を中心とする大河ドラマを放映し、道徳教育の柱となる「教科書」に欠かせない人物として松陰を取り上げている。吉田松陰は、絶対的な天皇制の擁護者、オーストラリアを含むアジアの植民地化(大東亜共栄圏の確立)、また忠君・愛国の思想を確立する立役者であった。安倍首相は、松陰を最も尊敬する人物と言ってはばからない。

  日本の教会は、この2月11日を「思想・信教を守る日」としている。(続く)

2015年2月8日日曜日

大人になれなかった子どもたち(2)

牧師 山口 雅弘

  太平洋戦争の終わり頃、絵本『おとなになれなかった弟たちに・・・』に登場する国民学校(小学校)4年生の「ぼく」は飢えていた。「ぼく」に弟の「ヒロユキ」が生まれる。しかし母は、お乳が出ない。やっと配給された一缶のミルクだけが、誕生したばかりの弟「ヒロユキ」の大切な食べ物だった。それなのに…。
  絵本の一部で、米倉斎加年氏は次のように語っている。「でも、ぼくはかくれて、ヒロユキの大切なミルクをぬすみ飲みしてしまいました。それも何回も…。 ぼくにはそれがどんなに悪いことか、よくわかっていたのです。でもぼくは、飲んでしまったのです。ぼくは弟がかわいくてしかたがなかったのですが、… それなのに飲んでしまいました。」

  その後、家族は田舎に疎開する。しかし、平和な時代には隠されている人間の本性がむき出しになるのであろうか、家族は親しかった親戚や色々な人に冷たい仕打ちを受ける。やっと落ち着く先にたどり着くが、小さな赤ん坊のヒロユキは、病気になってしまった。
  「10日間ぐらい入院したでしょうか。ヒロユキは死にました。暗い電気の下で、小さな小さな口に綿にふくませた水を飲ませた夜を、ぼくはわすれられません。泣きもせず、弟はしずかに息をひきとりました。母とぼくに見守られて、弟は死にました。病名はありません。栄養失調です。… 」
死んだ弟を背負って家に帰る母とぼくは、頭上高く、夏の空をB29がキラリと光って飛んでいくのを見る。それからわずか半年後、日本は敗戦を迎えることになる。
  「ぼくは、ひもじかったことと弟の死は一生わすれません」と、絵本は記して終わる。戦争は、兵隊たちの殺し合いだけでなく、多くの人々に戦火の炎を浴びせて殺傷する。と同時に、飢え渇きという形で、小さな赤ちゃんからお年寄り、病気や障がいを持った人、また弱い人を生きられなくし、そして死に追いやる暴力であると言わざるを得ない。
  豊かなものに溢れている現在であっても、日本のみならず世界各地で様々な暴力が満ちあふれている。子どもたちの心が蝕まれ、悲しく痛ましい事件が毎日のように起きている。また、飽食の時代の中で、真実に人を生かす言葉に飢え渇いている時代ではないだろうか。

2015年2月1日日曜日

大人になれなかった子どもたち(1)

牧師 山口 雅弘

  私たちは、世界の中で見ると、毎日豊かなものに恵まれて生活している。このことを先ず、感謝したい。がしかし、雪国では寒さに凍えながら夜から明け方まで雪の中を歩き通し(寝ると凍え死ぬから)、朝早くやっと地下街や電車のホーム、公共施設の片隅などで暖を取り、水を飲んで飢えをしのぐ「路上生活者」が命をつないで「生きて」いる。

  歴史を見ても、わずか70年ほど前、世界大戦のさなかに、日本のみならずアジア諸国、また世界中の国々の人々、とりわけ子どもたちや女性たちが食うや食わずの大変な状況であった。兵士たちだけでなく、小さく弱い人々が戦火におののき、また飢え渇き、栄養失調や病気によって尊い命が奪われていった。

  現在も、世界の至る所で戦争や災害によって多くの赤ちゃんや子どもたち、また障がいを持つ人々が尊い生命を失っている。美しい音楽を聞き、本を読み、勉強し、友だちと語り、愛し合う人と分かち合う夢や希望の一切が奪われてしまうことほど哀しいことはない。

  戦時国のみならず、現在「イスラム国」の権力者が幼い子どもたちに銃や爆弾を持たせ、戦いに追いやっている現実を知らされると、どれほど小さな行ないであっても、その行為を通して「平和を実現する」生き方の重要性を思わざるを得ない。そして、物質的・経済的な豊かさを感謝しつつ、私たちは自分の生活を見直してみる必要があるだろう。

  一冊の絵本を紹介したい。『おとなになれなかった弟たちに…』という絵本である。作者は、なかなかユニークな俳優で、絵本作家としても知られる米倉斎加年で、昨年8月に80歳で亡くなった人である。

  米倉さんは、自らの経験をもとに、この絵本を書いたと言う。丁度、太平洋戦争の終わり頃、絵本に登場する主人公の「ぼく」は、国民学校(小学校)の4年生。主人公の「ぼく」は、米倉さん自身であった。

  その時は、まさに飢えの時代。子どもたちは皆、お腹を空かして食べるものがなかった。その時代の苦しさを思い出す方も多いと思う。

  そのような中で、弟の「ヒロユキ」が生まれる。けれども、母親はお乳が出ない。これ以上に薄くはならないというほどの雑穀のとぎ汁、やっと配給になった一缶のミルクだけが弟の大切な食べ物だった。
それなのに…。(続く)

2015年1月25日日曜日

新しい年を迎えて

牧師 山口 雅弘

  新年を迎えてすでに3週間以上が過ぎ去った。依然として、人々の間には哀しみや問題が満ちている。そうであるほどに、それらを絶ち切って「水に流したい」と願い、大晦日には百八つの煩悩を打ち払い、良い年を迎えたいという感覚は、現代にも受け継がれているのであろう。

  その感覚に似ている言葉が、イザヤ書43章18節に見られる。「あなたがたは、初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな」と。前に起きた哀しく苦しいことは「過ぎ去った」ことにして、いつまでも思い返し、繰り言を言ってはならないと語る。新約聖書のフィリピ書3章13節にも同様の言葉が見られ、「なすべき事はただ一つ、後のものを忘れ、前のものに向かって全身を伸ばしつつ、・・・目標を目指してひたすら走るように努めよ」と語られている。私たちは、このような聖書の語りかけを聞くと、そうありたい、過去のことに区切りをつけて新しく生きていきたいという共感の思いを与えられるのではないだろうか。
  今年も神社・仏閣に何千万人もの人が参拝したと聞く。老いも若きもそれぞれの人生を背負いながら、一体何を祈り願ったのであろうか。一年に一回しか行かなくても、そうして手を合わせる一人一人の人生があるということに思いを馳せられる。
同時に、このように思う。正月を一つの節目とし、そこで一切の嫌なことを忘れ、幸せを祈ることは大切であろう。その際、過去のことをしっかり省み、その責任を担って、現在を将来に向かって生きていくという姿勢を曖昧にしてはならない。「新しく生きていくために」である。聖書はそのことを私たちに問いかけている。
  新年を迎えて、政府は沖縄の復興予算を減額し、辺野古に新たな戦争の基地を作るために、反対する人々を強硬手段で蹴散らしている。平良修牧師の連れ合い悦美さんや何人かの青年が怪我を負わされた。
  「平和を実現する」生き方は、時として権力に対して「反逆する」ことになるであろう。何かを新しく生み出すことは、何かを捨て、変えることを避けることができない。それが自分のささやかな人生の在り様であっても、社会的な不正義と悪であっても、それを変革するために知恵と工夫を凝らし、笑いとユーモアを忘れずに新しいものを生み出す生き方を模索したい。生きとし生けるすべての生命の尊厳を損なわないために、である。聖書は、その生き方を、「悔い改めて生きよ」と言い表している。