牧師 山口 雅弘
死後の世界がどのようなものであるか、誰にも分からない。しかし、誰ひとり例外なく、すべての人に「その死」は訪れる。これほど確かなことはない。そして、不条理な死を迎えることは哀しい。しかし私たちは、死を迎えた方のすべてを神に委ねる神への信頼を持てる幸いを与えられている。また、「自分の死」を迎えるまで、尊い命をもって生きる者とされている。
少し前に、理不尽な事情で死刑に処せられた五月明という方の遺稿集を、むさぼるように読んだことがある。五月さんの一日一日の生命は、かけがえのない繰り返すことのできない日々であった。
彼は、いつ死刑執行の呼び出しがあるか分からない「自分の死」を前に、恐れおののき、不安の日々を冷たい牢獄の中で過ごした。それでも、何とか「一日の生命」を大切に生きようとした。彼は、その葛藤と希望をノートに書き記した。それが遺稿集『愛を告げる小さなパイプ』にまとめられている。それを読み進めるにつれて、五月さんの心奥深くにあるものを想い巡らさざるを得なかった。彼のいくつかの句を紹介したい。
- 今日からは 死刑囚となり耐え生くか 余命短き命 愛でつつ
- 妻と子に詫びの文を書かむとて 夜半まで目覚めて 言葉あらなむ
- ゴキブリを袋に入れてかいながら 神の御前の我が姿思ふ
- 妻と子の顔を見た時 言ふ言葉 髭をそりつつ あれこれ思う
- 子のほほが 我の両のほほにふれ 一時の父の幸せにひたりぬ
- 寒き夜は 節々痛みて眠られず 胸に手を組み 主のみ名を呼ぶ
- 祈りにて洗礼受けしこの喜びを 忘れず生きたし 召さるる日まで
- キリストに導きゆかれ 真泉のほとりに根をはる 緑樹とされたし
- 沈黙の祈りの後は 山々の峰に立つより 心すがしさ
- 自由の身が恋しくなって涙が流れる時は 目を閉じてがまんします
- 心が重く暗い時は あなたが下さった光のみふみを読みつづけます
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