2017年12月3日日曜日

「心静かに」クリスマスを迎えたい



       牧師 山口 雅弘  

アドベント・待降節の礼拝が始まった。「待降節」という言葉は、中世時代の教会が使用していたラテン語の「アドベント(到来する)」に由来し(今もカトリック教会が使用)、イエスがこの世に「到来する」ことを「待ち望む」期間を示すようになった。しかし、イエスが誕生しておそらく1~2世紀以上の間、「クリスマス礼拝」を捧げることはなかったようである。最初に語られ記されたマルコ福音書、またパウロの手紙には「イエス誕生」の出来事が記されていないことからも推察できる。
しかし、イエスのこの世での生き様と十字架の死、イースターを記念して礼拝を捧げられるにつれ、そのイエスはどのように誕生したのかということが大切な関心事になっていった。そのためにキリスト者は、「救い主」誕生についてヘブル語聖書(旧約)で何が示されているかを懸命に学び、ガリラヤの各地でどのようなイエス誕生の物語が伝えられてきたかを集めて語り継がれるようになったのである。
やがて世々の教会は、イースター、ペンテコステ(教会の誕生)と並んでクリスマスを大切な礼拝の時として捧げるようになった(しかし、今でもクリスマスを祝わない宗派もある)。
私たちは、信仰の先達者たちの祈りとイエス誕生の物語を受け継ぎ、神がイエスを「最大のプレゼント」として私たちに贈って下さったことを感謝し、クリスマス礼拝を捧げたい。それだけに、問題が渦巻く社会と騒がしい商戦の現実の中でこそ、できる限り「心静かに」クリスマスを待ち望み、クリスマス礼拝をこそ大切な「時」として迎えたい。
信仰の先達者は、自分の人生が変えられたイエスの生き様とその誕生の喜びを何としても語り伝えようとしたのであろう。日本にキリスト教が語り伝えられて以来、長い間クリスマスは祝われなかったようである。特に個人的な悩み・苦しみに加え、キリシタン迫害の嵐、また2回の世界大戦の時代にキリスト者迫害が起きる中で、必死に耐える信仰の力を人々に与えたのはイエスの十字架への生き様であった。信仰の先達者を突き動かし、イエスによって生かされた人々がイエスを「語り伝える」歴史があるからこそ、私たちが今「クリスマス礼拝」を喜びと感謝をもって捧げられることを覚えたい。
私たちの人生の途上において、「今年のクリスマス礼拝」を捧げることができ、イエスとの新たな出会いを与えられることを心から感謝し、他の人にイエスの誕生を「語り伝えて」いきたい。アドベントの時を「心静かに」礼拝する時にし、多くの人をクリスマス礼拝に誘って喜びと感謝を分かち合いたい。

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