牧師 山口 雅弘
どれほど苦しいこと、悲惨なことがあっても、未来への眼差し、希望を失ってはならない。その思いと意志を強く持ちたい。
今年3月に、日本国家から切り捨てられているとしか思えない沖縄で、「再び」アメリカ兵から性的暴力を受けた女性の事件が起きた。また先日、元アメリカ海兵隊員で軍属として沖縄の基地で働く人によって、女性が殺され遺棄される事件が起きた。「もういい加減にしてほしい!基地があるために…」という思いを、沖縄の人の誰もが持っているであろう。
2008年に、沖縄に行ったことを思い起こす。小雨が降り、風の冷たい辺野古の海を眺め、色々なことを考えさせられた。沖縄の様々な現場に立ち、その場の空気を吸い、人々と語り合う機会を得た。その前後にも、何度か沖縄を訪れたが、行く度ごとに沖縄の厳しい現実に心痛み、沖縄の現実を風化させてはならないという思いを与えられている。
沖縄では、様々な夢や希望、また多くの可能性を持つ女性たちの人生が奪われ、殺されていく悲劇が繰り返されている。その現実の中で、アメリカ軍の最高司令官や要人、さらに日本の首相や政治家たちも、「悲劇が繰り返されないように・・・」云々と決まり文句を繰り返していることに、沖縄の人々は「チム・グリサ」、「肝が引き千切られるような痛み苦しみ」を日常的に抱えているであろう。
原因ははっきりしている。沖縄に集中して米軍基地があるからだ。沖縄以外にも基地があり、性的暴力や殺戮が起きているのも確かである。これらの基地が、ベトナム戦争、アフガンやイラクなどの戦争への発進基地になってきた。また、基地を撤廃すると、とりわけ沖縄では深刻な就職難が起きるという苦渋に満ちた問題を抱えている。
しかし、沖縄の一等地にある基地を平和利用や観光の場に用いるなど、知恵を集め努力して問題を解決しようとする、その「希望」を持つ人々も少なくない。未来への眼差し、希望を持つ人がいる限り、必ず願いや平和が少しずつ実現する、このことを私たちも信じて生きていきたい。
沖縄は、琉球王国時代はもとより、「武器」を持たない「平和を造り出す人々」の生きる場であった。現在、その沖縄に戦争のすべての武器が集中して存在する。しかし私たちは、沖縄の現実を忘れずに、「平和を造り出す人は幸いである」とのイエスの語りかけを聴き、それぞれの場で「平和を造り出す人」として、未来への眼差し、希望を持ち、「今」を生きていきたい。
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