牧師 山口 雅弘
今年も全国各地で「憲法記念日」の集会が開かれるであろう。憲法が改悪され、9条さえ変えられようとする「危機」的状況にあり、「戦争関連法案」が次第に戦争への道を拓いていくことを思わざるを得ない。しかし、私たちはまた、日常生活において、その「危機感」を持たずに日々を過ごしてしまえる、このことも恐ろしいことである。
現憲法を守ることは、戦争放棄と一人一人の生命と人権を守ることに深く関わる。過去の歴史に学び、記憶し続けなければ、再び日本のみならずアジア諸国の人々、また生きとし生けるものの命を奪うことになろう。
幕末の一大変動期に大きな役割を果たした一人に勝海舟という人がいた。彼についての歴史的評価は色々あろうが、彼の語録集の『氷川清和』は興味深い。文庫本にまとめられているので、簡単に手にすることができる。それを読むと、勝海舟は、実に明確なものの見方を持っていたことに驚かされる。「徳川に代わるものは薩摩か長州か」という、言ってみれば仇討ち的な「私闘」になりかねないものを、彼はできる限り「公的」なものに高めようとしている。彼にとって「公」とは、どうすれば国民一人一人の益になるかということだったように思う。
もし、そのような判断が無ければ、あの江戸城の無血明け渡しなどということはできなかったであろう。そのために海舟は恨まれ、「腰抜け」「イヌ」などと悪口を浴びせられたと聞く。しかし、国民の益と生命の尊厳をひたすら考え、「公人」として生きようとした彼は、その点で歴史を作った政治家の一人であったと言えるだろう。今の「政治屋」とは大違いの感がある。
アメリカの「小イヌ」と皮肉られる歴代の首相、また政治家たちはどうだろうか。かつて「公人」として福田首相が公用車で靖国神社を参拝して以来、歴代の首相や大臣、政治家たちが靖国神社を参拝してきた。このことは、やがて天皇や自衛隊員の参拝の道を開くであろう。莫大な防衛費、元号法制化、「日の丸・君が代」を踏絵にした教育界への閉めつけなど、いつの日か戦前・戦中のような「国民の益」を忘れた、日本人のみならずアジア諸国の人々に犠牲を強いる「国家」の一人歩きをゆるしてしまうと思えてならない。
さらに今、「共謀罪」という法律が刑法の一部を改正する形で復活する手順が整えられているという。「共謀罪」は、戦前の思想弾圧に使われた治安維持法の再来を思わせる恐ろしいものである。
このようなことを見過ごせないのは、どこまでも一人一人の生命と人権を守り、愛し続けたイエスの歩みを踏みしめて行きたいからである。また、各地のキリスト者や様々なグループが、思想・政治的立場や宗教などの違いを超えて、「不断の努力によって」憲法を守る意思表明をしていきたい。
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