牧師 山口 雅弘
画家の熊谷守一氏の『へたも絵のうち』という本を思い起した。この人は山の中で育ち、そこで養われた天衣無縫な生き方が絵によく現れているようだ。絵画のことを知らない私にも、この人が絵で描き文章で表わす彼の「心」が伝わってくる。本に記されているいくつかの文章を紹介したい。
「私は上手下手ということでは絵を見ない。」 「どうしたらよい絵が描けるかと聞かれる時、私は、自分を生かす自然な絵を描けばよいと答えてきた。下品な人は下品な絵を描き・・・下手な人は下手な絵を描きなさい、と言ってきた。」 「絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと見ている。自分にないものを無理に何とかしようとしても、ロクなことにはならない。だから下手な絵も認めよ、と言ってきた。」
これらの文章に込められた熊谷氏の「心」を思い巡らすと、絵を描くこの人自身の生き方がよく現れているように思う。そして何よりも、自分の生き方、また他の人の生き方を認め、大切なものとしていることが分る。
キリスト教の信仰は芸術と違うかも知れないが、「お前の信仰は間違っている」、「本当の福音とは・・・」「正しい聖餐とは・・・」と声高にいう人の語ることを聞くと、熊谷氏ではないけれど、「下手も認めよ、これも誠実な信仰の表われ・・・」と思う。信仰においても、生活のあらゆることにおいても、得意・不得意、上手・下手をみな持っている。みな違っていて、みな神の前にかけがえのない大切な人である。そして、それぞれが認め合い支え合い、「キリストの体」なる教会を形づくっている。
信仰を持って生きるとは、上手・下手ではなく、「自分のものか」ということだろう。最初期のキリスト者はみな多様で過不足をもっていても、希望を失わず「信仰をもって生きた」ことを静かに想う。そう、今日はペンテコステ。産声を上げて誕生した小さな教会が歩み出したことを記念し、喜び祝う日である。
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