牧師 山口 雅弘
教会が社会の中で「小さくされ・弱くされた人」、痛み・哀しみを抱える人と共に生きようとすれば、「会員」や礼拝・集会の出席者数に表われない、「教会のドラマ」を地下で支える人々がいることを自覚したい。
ここで、最初期の教会の姿を垣間見たい。「教会」を表す言葉は、「集められた者の集い」を意味する「エクレシア」というギリシャ語である。最初期のキリスト者は、自分たちの小さな群れを、神に「呼び集められ」生かされる者の集いであると言い表した。その教会は、まさに少数者の集いであり、弱さや不完全さ、また苦難があろうとも、しかし神に「呼び集められ」生かされる共同体である、このことを自覚し歩み続けた。そして何よりも大切なことは、人を差別し分断するあらゆる垣根を越えて、誰もが自分の「居場所」をもてるように、そのヴィジョンと実践を「エクレシア」と言い表したのである。
最初期の教会の姿を見ると、実に多様だった。また3世紀頃になるまで、ほとんどの教会は独自の建物を持っていなかった。人々は、ユダヤ教の会堂を借りて集まり、あるいは「家の教会」と呼ばれるように個人の家に集まり礼拝を捧げ、また川のほとりで礼拝を捧げる教会もあった。フィリピの教会は、おそらく川のほとりで祈りと礼拝を捧げる集会として始まったと推定される。そのエクレシアの群れには、子どもから年配の老若男女、壮健な人も病気・障がいを持つ人もいて、様々な違いを持つ人々が厳しい時代の中で共に生きていこうとしていた。
さらに最初期のエクレシアは、建物のみならず、牧師すらいなかった。すべてが無い無い尽くしから始まったのである。小さなエクレシアの群れには、組織や役職もない。もちろん、総会も決算総会もなかった。このことは、具体的な教会運営から見れば大変なことであろう。
しかしエクレシアの人々は、神と共に、いつも「未来」に向かって生きる「未来志向」の信仰と心意気を持ち続けた。そのようにして、神を讃美・礼拝する教会として歩み続けたのである。また、神に生かされるからこそ「今」がある、と自覚したのであろう。私たちは、その信仰と心意気を受け継いでいきたいものである。
イエスは、当時の社会の中で小さく弱くされた人の友として生き抜いた。その人々が「教会の群れ」を形づくっていったのである。 教会のドラマを根底から支えるイエスのドラマに目をむけ、そこに参加する稲城教会でありたい。
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