2018年7月1日日曜日

「女性は子を産む機械」発言をめぐって(1)

2018年7月1日(牧師 山口 雅弘

今日のメッセージ、また聖書の使信に関連して、気になっていることを記しておきたい。
このところ政府与党の国会議員また自民党ナンバー2の幹事長に就く議員から「女性はもっと子どもを産むべきだ」、あるいは「子を産まないほうが幸せに過ごせると考える勝手なことを言う人が増えている」との問題発言が相次いでいる。この種の発言はなぜ無くならないのであろうか。また、女性蔑視や性差別、ハラスメント発言や行為がどうして無くならないのか。9年ほど前に、当時の厚生労働大臣が自民党県議会で「15歳から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから・・・」と発言して辞任に追い込まれた。にもかかわらず、依然として女性差別の発言や行為が無くならない。
このことは、憲法に保障されている基本的人権を著しく傷つける行為であること、また女性に対する人格の否定であることをなぜ理解しないのであろうか。

女性のみならず様々な性の自意識を持つ人、また多様な性指向を持つ人(LGBTQ: レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダ―、そして Qはどのカテゴリーにも縛られずに自分自身であるというアイデンティ 
ティをもつ人)に対する差別、心身に障がいを持つ人への差別は、女性また人の生命と人間性を否定し、その尊厳を奪うものである。それはまさに暴力であろう。
これらの発言は、「少子化問題」の中での発言であれば、先ずは女性が仕事をしながら出産を望めば、その環境、ジェンダー差別を生まない社会の「システム」を考えるべきであろう。スウェーデンではその社会的システムを作る過程で平均出産数が増加したことは広く知られている。そのことから学び、社会を変えようとする意識も努力も日本の政治家に見られない。
そもそも「いのち」が人の人格を無視し、またそれぞれの人生における決断を無視して産み出されるかのような「発想」をどうして持つのであろうか。

(「他者・弱者」の代表として「女性」と書くことが多いが、今回はあえて生物学的な性に基づく女性に焦点を合わせて、あえてカッコをつけずに女性と書いた)
(次週に続く)

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