牧師 山口 雅弘
2016年の新しい年を迎えて二週間が経った。「新しい」と言っても、時の流れの中で新しいものはすぐに古くなる。私たちは、喜びや哀しみ、また痛みなど、過ぎ去った古い経験を様々な形で引きずりながら生きている。
私たちはここで、時間的な次元での新しさではなく、質的な新しさ、英語で言えばNEWではなくてFRESHという角度から「新しさ」を受けとめたい。特に、イエスを通していつも示される神の愛の真実を受けとめ、その真実に新しくされ生かされたいと願う。その意味でも、昨年末に記した「新年に向けて: 聖書を読もう!」を、再びお勧めしたい。私たちの「すべてをご存知の神」の語りかけに生かされるために…。
私たちは言うまでもなく、歴史の中に生き、社会や世界の広がりの中に生きている。けれども、私たちの日常生活の範囲は狭く、歴史的な視点とか社会的な視野を持ちにくいのが実情であろう。特に、世界大的にテロが多発し、難民が急増している。また日本でも、破格の防衛費の予算化の中で、路上生活者に加え「若者難民」が増え、毎日食べることのできない子どもたちのための「子ども給食」が各地域に増えていると言う。
同時に、アジアまた世界の中の一員である日本に生きる者として、様々な問題を感じつつも、日常生活の中で他者の痛み・哀しみに「切実感」を持たずに生きていけるのも現実ではないだろうか。そうして結局、その生活の中で「自分だけの幸せ」を願い、豊かさを求めているのかも知れない。
しかし私たちは、どのような時にも「希望」を持ちたい。荒涼たる砂漠に大河の水をもたらす神を信頼し、私たちを神の愛と平和をもたらすために用いて下さることを信じたい。どんなに大きな河の流れでも、一滴一滴の小さな水が川の流れを生み、やがては荒れ野に大河となって流れるように、私たちの小さな働きを用いて下さる神がいらっしゃるのである。
ティヤールド・シャルダンの言葉を思い起こす。「人生にはただ一つの義務がある。それは、愛することを学ぶこと。人生にはただ一つの幸福がある。それは、愛することを知ることだ」と。私は、その前提に一つの言葉を加えたい。「人生には一つの知るべきことがある。それは、あなたは神に愛されていることだ」と。すべてをご存知の神に愛されているのだ。
新年を迎えた私たちは、弱さや矛盾を抱えていても、荒れ野に生命の水をもたらし「私は新しいことをなす」と言われる神を信じよう。神の愛と平和を求めて生きる者でありたいと祈りつつ、常に新しく生きていこう。
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