2014年11月16日日曜日

メメント モリ

牧師 山口 雅弘

  『わが涙よ、わが歌となれ』という本が出版されている。牧師の連れ合いであった原崎百子さんの遺作である。彼女は、自分の病気が肺ガンと知らされ、その日からの45日間、43歳で神に召されるまでの深い思索と真摯な生き様を記録した本である。それはまた、地上で生かされた一人の信仰者の証言とも言えるだろう。
  彼女は、4人の幼児を残して死を迎えなければならない不条理の苦しみに突き落とされ、人目をはばかることなく涙を流さざるを得なかった。それでも彼女は、精一杯に神に向き合い、自分の一日一日の人生を大切に生きようとした。
  しかし、一切を神にゆだねて生きようという信仰と、それでもずっと生きていたいという意欲の間で揺れ動き、その現実の中で苦闘する彼女の生の姿を垣間見ることができる。同時に、自分に与えられた生命と人生の「責任」を持って、自分なりに生きようとする彼女の姿勢に、深い感動と励ましを与えられる本である。

  中世の修道士たちが朝一番に口に出す言葉は、「メメント・モリ」という言葉であったと聞く。「汝の死を覚えよ」という意味である。修道士たちは、互いに「限りある生命」を心に刻み、今日を精一杯に神に向き合い、イエスと共に、神と人に仕えて生きようとしたのであろう。

  私たちは誰でも、いつか必ず「自分の死」を迎える。これほど確かなことはない。自分に与えられた地上での「最後の出来事」であろう。自分の死を見つめることは、他者に代わってもらうことのできない自分の生命と人生をもって生きる責任や課題と不可分である。何か大きなことはできなくても、自分らしく生きていきたい。かけがえのない尊い生命と人生を与えられているからである。
  自分の死はまた、自分だけの死ではなく、愛し合う者にとっての辛い現実になる。そしてイエスが示したように、「あなたの魂は今夜の内にも取り去られる」(ルカ12章)とすれば、自分と他者の「いのちをみつめて」、少しでも豊かな喜びと平和を生み出す生き方をしたいものである。「メメント・モリ」という言葉は、そのことを自覚させられる豊かな語りかけであろう。

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